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新・鉄道綜合スレ

2733チバQ:2019/08/20(火) 11:22:59
https://toyokeizai.net/articles/-/296072
関東とは段違い「最強の私鉄特急」中京・関西編
パノラマカー、ビスタカーなど名車が続々…
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前里 孝 : シリーズ書籍「レイル」編集主幹
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2019/08/14 5:50

中京・関西で私鉄電車の雄といえる列車は何か。路線網が広大なエリアに広がる名古屋鉄道と近鉄の特急用車両の選定は、自分自身の頭の中で甲論乙駁、本当に頭が痛かった。一方で京阪神間は伝統的に料金無料の列車が主体であり、今では一般車だけでの運転になってしまって、採り上げることができなかった路線もあった。8月1日付記事(独断で選ぶ「私鉄特急」、東の横綱級がずらり)に続き、今回も独断で「西の横綱」を紹介する。

名鉄特急といえばパノラマカー
名古屋鉄道 1000・1200系電車

1961年に登場した真っ赤な車体の新型車。それが「パノラマカー」である。色も個性的だったが、運転室を屋根上に上げて先頭部を展望座席としたその構造は、世間をあっといわせたものである。

運転席を屋根に上げた電車はすでに国鉄の特急電車「こだま形」で実現していた。けれど、先頭部を客席に充てたのは、わが国ではパノラマカーが最初である。

その登場から四半世紀を経た1988年に、新世代のパノラマカーとして登場したのが「パノラマsuper」こと1000系電車である。展望室のシートは階段状に配置され、一般部のシートは回転式リクライニングシートとなり、車内情報装置や飲料の自動販売機、そしてトイレも備えるなど、大幅にグレードアップした車両となった。

この車両を使った列車は全車座席指定の「特別車」とされたが、デビューから3年にして一般車も組み込むこととなった。新たに作った岐阜方に運転室を持つ一般車1200系4両と、1000系4両のうち2両を組み合わせ、岐阜向きの2両は豊橋向きに方向転換された。一般車と特別車の混合編成を6両編成とし、特別料金なしでも利用できる列車となった。

最初の10編成は両方向に展望室を持つ4両編成のままで使い続けられたが、2009年には廃車になってしまい、今では展望室は豊橋向きだけとなっている。

デビューから25年を経た2004年から、客室のリフレッシュやトイレの洋式化などを行うリニューアル工事が始まった。塗装デザインも一新してイメージチェンジを図っている。マニアックなことをいうならば、このリニューアル工事を受けた車両は、系列名を1000系から1200系に改めた。「名鉄特急といえばパノラマカー」というフレーズは、まだまだ健在のようである。ひと安心。

3代目にも「ビスタ」は受け継がれた
近畿日本鉄道 30000系

名鉄のパノラマカーに先駆けること3年、1958年に近鉄(近畿日本鉄道)では新型特急電車10000系をデビューさせた。


デビューから40年を経た今もなお、進化を遂げて近鉄特急の大切な一翼を担う“ビスタEX”30000系電車(大和朝倉ー長谷寺間、2010年11月筆者撮影)
特徴は、車両の屋根を部分的に高くして見晴らしのよい部屋を作り、乗客が沿線風景を堪能できるように工夫したこと。このような車両は、第2次世界大戦後のアメリカ大陸横断列車に普及した「ドームカー」が最初といわれている。近鉄でも何らかの影響を受けたのは間違いのないところだろう。この10000系は、「展望」を意味するスペイン語の「ビスタ(Vista)」を冠して、「ビスタカー」という愛称が与えられた。以来、ビスタカーあるいはビスタは、近鉄の代名詞的な言葉として多用されることになる。

1959年には2代目のビスタカー、10100系を開発して量産した。折からの伊勢湾台風による大被害を復旧するに際して、名古屋線の線路の幅を大阪線とそろえる工事を大幅に繰り上げて名阪間直通運転を実現し、直通運転のセールスの目玉として2代目ビスタカーを製造……など、多くの物語が生まれた。

その2代目ビスタカーから19年経った1978年には、30000系という形式の3代目のビスタカーを製造した。この車両は4両編成のうち中間2両を展望室とした。車体の前から後ろまで屋根の高さは変らないので「ドーム」ではないが、「ビスタ」ではあるので、愛称は受け継がれた。


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