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新・鉄道綜合スレ

2268チバQ:2018/09/04(火) 18:34:07
取材できないほど、人が見当たらなかった
 さて、早速東京駅を出発した宇都宮線の電車。小金井までの旅の序盤は赤羽やら大宮やらおなじみの町を駆け抜ける。が、大宮駅を過ぎたあたりから車窓が変わり始める。ビルどころか住宅も徐々に少なくなってきて、見渡す限り広がる田園地帯。久喜、古河、小山とそこそこ大きな駅とその周辺だけちょっと栄えて、その他は田園という車窓が延々と続く。そして東京から1時間30分、ついに小金井駅に到着する。一緒に降りた乗客は数えるほどで、都心部を走っていたときの混雑ぶりが夢のよう……。

 改札口を出て駅の周りをひとしきり歩いてみると……想像通りと言うべきか、やっぱり何もない。当然のようにビジネスホテルの類はなくて寝過ごし組を絶望させてくれるし、朝や日中にやけっぱちで小金井に来てしまった人が呆然としながらコーヒーを飲むためのカフェもない。さらにあげくに、どんな町なのか、道行く人に尋ねてみようと思っても、人の姿すらほとんど見当たらない……。

 いや、もちろんいくつかのお店とか住宅らしきものとかJAとか、それくらいはあるのだが賑やかさとはとにかく無縁の駅前なのだ。東口に至ってはやたらとコインパーキングが目立ち、それがかえって寂しさを際立てる。きっと、駅から結構離れた場所に住んでいる人が鉄道を利用する際に使うのだろう。都心部に住んで都心部に通勤している人が小金井駅に降り立ってしまったら、その閑散ぶりに絶望すること間違いナシである。思えば籠原駅の商業施設にはタリーズコーヒーがあって、それが安心感をもたらしてくれた。小金井には、それすらないのだ。

興味本位で乗り過ごしてはいけない
 では、一体何でそんな駅を終点とする列車が走っているのか。すでに想像がついているかもしれないが、籠原駅もそうだったように答えは車両基地である。1966年、小金井の人々は間々田駅と誘致合戦を繰り広げた末に車両基地(現小山車両センター)の開設にこぎつけた。その頃から周辺に何もなかったから、広大な用地を必要とする車両基地がつくれたのだろう。ともあれ、当時はまだギリギリSLも走っていた時代。多くの人が車両基地で働き、小金井は鉄道の町として発展したという。が、時代とともに車両基地も自動化が進んで働く人は減る一方となり、今の“ナゾの終点”小金井駅ができあがったのである。

 こうした傾向は、JRの中距離列車の終点ではおなじみのパターン。東海道線でも「国府津行」という何もない駅への列車が走っている。直通運転で利便性が増したとは言え、乗り過ごしのリスクは高まっているとでも言えようか。

 というわけで、今回の小金井駅も、籠原駅と同じく「何もない車両基地の町」という結論でございます。もちろん、本当に何もないわけではなくて、小金井駅から少し西に歩けば旧日光街道の宿場町だった江戸時代の面影を伝える一里塚があったり、さらに60分くらい歩けば古代下野国の中心地だったエリアにもたどり着く。車両基地の町、小金井で古代の息吹を感じる旅……なんてのはありかもしれない。とは言え、やっぱり寝過ごしはもとより興味本位でやって来たら、きっと後悔することになるだろう。どうせなら、もう少し足を伸ばして宇都宮で餃子でも食べたほうが満足できそうだ。

写真=鼠入昌史


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