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新・鉄道綜合スレ

2234とはずがたり:2018/08/26(日) 20:15:22
都県境越え、実に11回! 小田急小田原線と蛇行する境の謎
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180826-00010002-norimono-bus_all
8/26(日) 14:10配信 乗りものニュース

同じ都県境を何度も何度も越える路線
 東京都の新宿駅と、神奈川県の小田原駅を結ぶ小田急電鉄小田原線。特急「ロマンスカー」も大人気のこの路線には、不思議があります。

【写真】道路の舗装に現れた都県境

 それは、東京都と神奈川県の都県境を何度も越えること。その数、実に最大11回。和泉多摩川〜相模大野間で、下り線は9回、上り線は11回も都県境を越えるのです。特に、柿生〜鶴川間では3回、鶴川〜玉川学園前間では4〜6回も東京都と神奈川県を行ったり来たりしています。

 ひとつの鉄道路線が、同じ都県境を11回も越える……。全国的にも珍しいこの現象は、どのようにして生じたのでしょうか。

 これには、多摩地区の歴史が関係しています。

都県境越え、実に11回! 小田急小田原線と蛇行する境の謎
9か所もの「都県境」がある柿生〜玉川学園前間。岡上地区と三輪地区の複雑な形と歴史的経緯が「小田急線都県境の謎」を生んだ(栗原 景作成)。
 江戸時代、この辺りは多摩郡と都筑郡に分かれ、たくさんの村がありました。明治維新後、廃藩置県によってこれらの村はいったんすべて神奈川県となります。ところが1893(明治26)年、多摩郡を分割した三多摩地区(北多摩、西多摩、南多摩)が、神奈川県から東京府に移管されました。これは、東京の水源が多摩地区にあることから、その管理を効率的にするためだったともされています。

 南多摩郡と都筑郡は、丘陵地帯という地形や、村同士の結び付きなどから境界が入り組んでいたため、その境界を引き継いだ東京府(東京都)と神奈川府の境も複雑な形になりました。

 1927(昭和2)年、この地に小田原急行鉄道、現在の小田急電鉄が開業します。それまで開業した鉄道の多くは、東海道や甲州街道など、古くからの街道に沿って建設されていましたが、小田急小田原線は基本的に既存の街道に頼らず、東京から町田、厚木、伊勢原、小田原といった都市を直結する画期的な高速鉄道でした。この小田原急行鉄道が、東京から町田への最短ルートとして南多摩郡と都筑郡の境界付近を通過することになったのです。



 線路の南側には、三方を川崎市と横浜市に囲まれた町田市三輪地区があります。地図で見るとほとんど飛び地のように見え、都県境を複雑にしている要因のひとつです。隣には、やはり川崎市の飛び地となっている岡上地区。ここは江戸時代に多摩郡(多磨郡)から都筑郡に移った村です。岡上村が都筑郡に移ったため、三輪は飛び地のようになりました。三多摩が東京府に編入された際には、三輪の住民が都筑郡への編入を政府に陳情しましたが、東京府は「地形上、三輪は南多摩郡にあった方が便利」と反対し、実現しませんでした。

 鶴見川の支流である真光寺川で神奈川県に戻った(都県境3)小田急線は、鶴川駅手前で再び東京都に入ります(都県境4)。この辺りは、1980年代以降川をまっすぐにして水害を防ぐ河川改修が進み、蛇行していた流路跡に都県境だけが取り残されています。その典型的な例が鶴川駅西側の都県境5で、“投げ縄”のような形で都県境が蛇行しています。この辺りは旧流路が親水公園に整備された所も多く、かつてこの辺りに何度も水害をもたらした鶴見川の歴史も感じ取れます。




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