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新・鉄道綜合スレ

2146とはずがたり:2018/07/12(木) 13:45:57
安芸亀山みたいに電化出来ないかなあ。あっちは復活迄したんじゃが。可部と府中の更には広島と福山の差ではあるんじゃがこっちは廃止にはなってない。
ダム代替区間の八田原トンネルが電化対応とかだとテンション上がるんだけどそんな記述は探してみてもなかったw

福塩線・府中ー下川辺間電化の謎。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11171592166

現在の福塩線の府中以北(府中ー塩町間)は非電化ですが、府中ー下川辺の一区間だけは1954年(昭和29)から1962年(昭和37)の間だけ電化されており、福山から府中を越えて下川辺まで一部の電車が直通していました。
なぜ、この一区間だけを戦後になってから新たに電化したのでしょうか?
下川辺駅周辺には1954年当時、大きな工場も高校もなく、新規電化を促すほどの需要は旅客・貨物ともになかったはずです。実際、電化廃止間際の1961年の時刻表では、下川辺発着の電車(気動車は別)は一日4往復しか設定されていません。

下川辺に車両基地が作られたわけでもありません。府中駅には戦前から車両基地(電車区)があって、同駅の電車の引き上げスペースが足りないということもなかったはずです。
それどころか、下川辺駅は開業時から現在まで棒線一本単式ホーム一面の構造だったはずで、下川辺発着の電車は閉塞区間(府中ー河佐間?)の途中の本線上で折り返していたのではないかと思われます。

さらに、せっかく電化したのに、わずか8年後には架線を撤去し非電化区間に逆戻りしてしまいました。国鉄の路線で、一回電化した区間の架線を撤去したのはレアケースでしょう。


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tam********さん 2017/3/1211:08:42
あくまで推定ですが。

電化時代の時刻表は手元にありませんが、電化廃止から15年後の1977年春の時刻表でも、下川辺→府中間には朝に上り1本の区間列車(休日運休)が残されていました。
昭和20〜30年代は道路整備がまだ進んでいなかったので、利用客はさらに多かったでしょう。

一方、府中ー下川辺間が電化された1954年当時は、国鉄初の量産形ディーゼルカーのキハ10系がようやく登場したばかり。非電化区間のローカル列車は専らSL牽引の客車列車でした。
ディーゼルカーの増備にしばらく時間がかかる状況で、この区間に区間列車を増発するには、SL列車用に機回し線を設けるよりは、架線を設けて電化を延長し電車を乗り入れた方が、まだ安上がりだったと考えられます。
ただ、下川辺駅より先はトンネルもあり、また距離が延びると変電所も必要となるので、電化区間を下川辺駅までとしたのでしょう。

unt********さん2017/3/1319:34:45
ご回答ありがとうございます。

ただ一方で、山陽本線の電化工事も緒についたばかりの当時、下川辺まで電化を急ぐほどの需要があったのかという疑問は依然残ります。

全ての疑問が氷解したわけではありませんが、大変示唆に富むご回答、誠にありがとうございました。


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