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新・鉄道綜合スレ

1929チバQ:2018/03/29(木) 16:25:37
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180329-00000553-san-bus_all
廃止のJR三江線 沿線出身のベテラン運転士、万感の思い胸に最後の出発
3/29(木) 15:31配信 産経新聞
廃止のJR三江線 沿線出身のベテラン運転士、万感の思い胸に最後の出発
JR三江線を走る列車を前に思いを語る那須野謙さん=島根県浜田市のJR西日本浜田鉄道部の車両基地
 「三江線とともに歩んできた。感謝も寂しさもあり、思いが入り交じります」。31日に廃止されるJR三江(さんこう)線の沿線で生まれ育ったJR西日本の運転士、那須野謙(けんじ)さん(64)は、万感の思いを胸に最終列車のハンドルを握る。

 那須野さんは島根県美郷(みさと)町出身。中学、高校と通学で三江線を利用した。「朝は2両編成の列車がいつも混雑し、乗るのがやっとでした」と振り返る。

 帰りの駅に停車している蒸気機関車の力強さにあこがれ、昭和47(1972)年、高校を卒業すると旧国鉄に就職。56年から運転士としてディーゼル列車を走らせた。

 当時の三江線は沿線住民の誰もが利用する公共交通機関。利用客との「距離」も近かった。

 「今日はけんちゃんだわ」

 地元の停車駅で乗ってきた顔見知りの住民が、運転台の那須野さんに気づいて世間話を始めるのも日常の風景だった。故郷を走る誇りと気恥ずかしさ。「おばちゃん、黙っといてーな」。そう苦笑した日々を今は懐かしく思う。

 きついカーブが多く、速度やブレーキのタイミングなどさまざまな運転技術を身につけたのも思い出だ。平成18(2006)年7月、25年8月の豪雨では、それぞれ全線で運休となるなど、常に自然災害への意識が必要な路線でもあった。「ここで勉強し、育ててもらった」と思いを語る。

 進学や就職、結婚に子育て、そして老い…。思えば、運転台から住民のさまざまな人生を見つめてきた。夜の乗務時、明かりがまばらになった集落に沿線で進む過疎化を実感し「廃線は寂しいが、時代の流れ」と自分を納得させる。

 自身も来年7月に退職を迎える那須野さん。31日夜は江津(ごうつ)発(島根県江津市)の下り最終列車に乗務する。「今の自分があるのも三江線があったからこそ。ラストランは運転士冥利(みょうり)に尽きる。山間の四季折々の風景を駆け抜けた三江線のことをいつまでも忘れないでほしい」と話した。


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