したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

新・鉄道綜合スレ

1509チバQ:2017/06/26(月) 19:55:03
DRCが東武の看板列車として活躍したこの時代には、特急ではないものの、赤城方面の伊勢崎線に新型車両1800系による急行「りょうもう」が誕生して、DRCとの二本立てで北関東を結んだ。「りょうもう」は1999年、全編成が新型車両200系に置き換わったことにより特急に昇格し、日光・鬼怒川方面とコンビを組むようになった。

「デラ(デラックスロマンスカーの略)」と呼ばれ親しまれてきたDRCも車体の老朽化などが目立つようになり、次世代東武特急として1990年に登場したのが100系特急電車である。愛称は一般公募により「スペーシア (SPACIA) 」と名づけられた。1990年に通商産業省(当時)の「グッドデザイン商品」に選定され、1991年には鉄道友の会の「ブルーリボン賞」を受賞した。

車内はホテルの設備を意識した豪華な造りで、銀座東武ホテルのデザインを手掛けたデザイナー、ロバート・マーチャントがインテリアを担当した。2人がけシートのほかに6人用コンパートメントといった車内設備、英語が堪能なスペーシアアテンダントの乗務により、さらに観光色の強い特急に成長した。

長年のライバルが手を結んだ


DRCとスペーシアのすれ違い。共通運用の期間は短かった(筆者撮影)
スペーシアが登場して約1年間はDRCと共通運用にあたっていたが、1991年にその任をスペーシアに譲った。

筆者はDRCの晩年、日光付近で、DRCとスペーシアの離合の瞬間を撮影している。共通で使用する期間が短かっただけに今では貴重な写真となった。

2006年春のダイヤ改正からは、東武とJR東日本との相互乗り入れが実現した。新宿―栗橋間はJR線、栗橋―東武日光間は東武線を走るルートで、東武はスペーシア、JRは485系特急電車の日光仕様塗装を使用して直通運転を開始した。思えば戦前・戦後は「日光詣」の乗客を激しく獲得し合った両鉄道会社だったが、手を取り合って相互乗り入れするとは感慨深いものがある。

JR特急はその後車両が変わり、現在は初代成田エクスプレスに使用されていた253系1000番台がリニューアルされ「日光」「きぬがわ」で運転されている。

2017年の春には新型特急500系「リバティ」がデビューした。この特急はスペーシアの「きぬ」「けごん」を補完するほか、北関東の各都市へもアクセスし、さらに野岩鉄道を経て会津鉄道の会津田島まで「リバティ会津」として運転されている。

思えば昭和40年代初頭、国鉄会津線(現・会津鉄道)を走る蒸気機関車を追って南会津を訪れて以来、国鉄の民営化、路線廃止計画、第三セクター「会津鉄道」としての開業など、時代の節目を見届けてきた筆者には、廃止対象だったあのローカル線に最新特急電車が都心から乗り入れるとは、まことに感慨深いものがある。

南会津活性化の期待担うリバティ

地元の人たちは、リバティの会津直通運転を歓迎している。先日、観光懇談会で同席した福島県下郷町の星學町長も、万感こみ上げてくる感情を抑えながら「奥会津といわれたこの地に新型特急が東京からやってくるとは……文字通り南会津のあけぼのです。これまでにも増して、地域の経済発展、観光活性化に大きく寄与してくれるでしょう」と期待のほどを語ってくれた。


並んだ東武特急車両。左から「りょうもう」200系、「スペーシア」100系、「リバティ」500系(筆者撮影)
東武鉄道はこれから夏にかけて鬼怒川線でのSL「大樹」の運行開始も控えており、日光、鬼怒川、さらには南会津地域の観光は盛り上がりを見せている。鉄道はなによりも地域の基幹産業であり、その存在と影響力は大きいものがある。昭和初期に始まった東武の特急も、スペーシア、りょうもう、リバティの三兄弟で大きな成長を成し遂げた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板