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新・鉄道綜合スレ

1475とはずがたり:2017/06/08(木) 13:57:17
新駅で消える山手線「低すぎるガード」の秘密
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170608-00174663-toyo-bus_all&p=1
6/8(木) 5:00配信 東洋経済オンライン

 東京の“珍名所”が、また一つ消えようとしている。

 奈落の底を行くような暗がりが続く中、大人はかがまねば天井に頭をぶつける。耳をつんざくばかりの轟音を立てて頭上を疾走する山手線電車。2020年に暫定開業する品川新駅(仮称)付近にある通称「ちょうちん殺しのガード」こと高輪橋架道橋の消滅に向けたカウントダウンが、人知れず始まっている。

■個人タクシーの「ちょうちん」が激突

 山手・京浜東北線の田町―品川間のほぼ中間地点、一帯はかつて車両基地だったが、新駅の建設で現在はほとんど更地になり工事車両が行き交っている。ここに東京オリンピックにあわせて品川新駅が仮開業し、本開業での「街開き」が2024年頃に予定されている。

 品川新駅の解説は、今回は省略。問題としたいのは、ここにある「ちょうちん殺しのガード」の運命と、なぜそんなガードができたかという謎の解明である。

 ガードは制限高さ1.5メートル、西側から順に山手線、京浜東北線、東海道線上り線、かつて線路が何十本も並んでいた車両基地部分、東海道線下り線、東海道新幹線を一気にくぐる。なので長さは約250メートルもある。屋根にちょうちんマークを付けた個人タクシーがこのガード下を通り抜けようとしたところ、ちょうちんがガードにぶつかって壊れたという話が広まり、この名がついたとされる。実際の高さは1.6メートルほどと思われるが、ともかくそれより背の高い人は、かがまねば歩けない。…

■ガードの今後に対する区の見解は? 

 品川新駅はこのすぐ南側にでき、一帯は「グローバル ゲートウェイ 品川」と呼ばれるプロジェクト地として再開発される。高輪橋架道橋はその域内に入るので、昭和の亡霊のようなこのガードが生き残れるはずもない。

 それではいつまで通れるのか。何やら廃線となる路線を今のうちに訪ねたい気にもなってくる。この道路は港区の管轄なので、港区の担当者に今後の予定を聞いた。

 結論からいえば、「現在調整中なので、いつどうなるか言明できない」とのことだった。同じ場所に地下道を造り直す予定だという。

 逆にいえば、いつ工事が始まりこのガードが閉鎖されてもおかしくないのである。運命は風前の灯(ともしび)なのだ。訪れるなら、田町駅や品川駅から歩いてもいいが、都営地下鉄・京急泉岳寺駅からだと、A1、A4出口どちらからでも徒歩2分くらいで行ける。

なぜこんなに背の低いガードができたのか
 さて、どうしてこんなに背の低いガードができたのだろうか。それを解く鍵は、山手線側(西側)のガード入口付近でちらりと見える水路にある。幅1メートルくらいの水路がこのガードに並行してすぐ隣りに延びている。金網越しにのぞいたら、小魚が数匹泳いでいた。

 明治時代初期、線路のある部分はすべて海だった。山手線線路から50メートルほど離れた西側(山側)に、線路に沿って第一京浜国道が延びている。この部分が海岸線だった。明治5年、新橋―横浜間に初めて鉄道が開通した時、海岸線に沿って50メートルほど沖合、海の中に築堤してそこに線路を敷いた。遠浅とはいえ工事は大変である。

 わざわざ海の中としたのには理由がある。1つはこの区間、江戸時代以来の旧東海道が通り、用地買収が困難だったこと、もう1つは品川の八ツ山下(現在の品川駅付近)などに土地を持っていた兵部省が鉄道建設に反対して、用地を渡さなかったためである。兵部省としては、鉄道建設よりも、軍艦建造のほうが急務だという考えだった。そのため、鉄道は海の中を通すしかなかった。

■昔の地図を見て現在の謎を解く醍醐味

 鉄道ができた後は、その築堤と海岸線の間、南北に細長い運河ができることとなった。高輪橋架道橋の場所は、その運河から海へと出る水路があった場所である。築堤を途切れさせ橋で線路をわたした。橋の下の水路は船が行き来する。後年海側も埋め立てが進み、そこに人や車が行き来するガードが造られたのである。

 ただし、線路の築堤はそんなに高くしたわけではない。その下をくぐる道の天井を高くしようとすれば、道路を掘りこまなくてはならない。すると海面下になってしまう。ガードの距離も長く当時は電動ポンプで排水し続けるのも困難なので、低い天井とせざるをえなかった。

 何か不思議な物件があるとき、昔の地形が関係していることが多い。現在は開発でその地形がわかりづらくなっている所がほとんどだが、江戸時代や明治時代の地図にあたってみると、元々の地形がわかる。ちょうちん殺しのガードは、昔の地図を見て現在の謎を解く醍醐味を味わえる場所でもあった。そういう意味でも、せめて無くなる時くらい脚光を浴びせたい。

内田 宗治


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