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新・鉄道綜合スレ
1289
:
とはずがたり
:2017/03/14(火) 10:48:26
2017年03月03日 07時30分 更新
杉山淳一の「週刊鉄道経済」:
事実上の廃線復活 可部線延伸から学ぶこと
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1703/03/news028.html
今週末のJRグループダイヤ改正は大きく報じられない。しかし、鉄道ファンや交通問題に関心のある人には注目の案件がある。広島県の可部線が延伸する。たった1.6キロメートルとはいえ、事実上の廃線復活だ。JR発足30周年の年に、JRとしては初の事例ができた。…
可部線の末端区間が廃止された理由
JR西日本の可部線は…現在の区間になる前、2003年11月までは、可部駅から約46キロメートルも先の三段峡駅まで通じていた。しかも計画はこれで終わりではなかった。三段峡駅から先、中国山地を貫いて、山陰本線の浜田駅に達する路線だ。広島と浜田を結ぶ“陰陽連絡線”の役割が期待されていた。経由地の名をとって今福線と呼ばれ、建設工事も行われていた。しかし、1980年の国鉄再建法によって建設中の国鉄路線のほとんどが工事凍結。今福線も例外ではなかった。
稼働していた可部〜三段峡は非電化区間で運行本数も少なかった。平行するバスの便が多く、可部線の乗客数は伸びなかった。可部線自体も国鉄再建法によって廃止対象となった。しかし電化区間の横川〜可部間は住宅開発が進み乗客も多く、全線で廃止基準の旅客輸送密度4000人を超えていたため、国鉄時代の廃止は逃れた。
国鉄が分割民営化され、1987年にJR西日本が発足した。JR発足の条件として、国土交通大臣より“新会社が配慮すべき指針”が示された。そこには「日本国有鉄道の改革の実施後の輸送需要の動向その他の新たな事情の変化を踏まえた現に営業している路線の適切な維持及び駅その他の鉄道施設の整備に当たっての利用者の利便の確保に関する事項」とある。ざっくり要約すると「国鉄再建法によって、利用者数の少ない赤字路線は整理したから、JRが引き継いだ残りの路線はなるべく維持しなさいよ」ということである。
この指針を順守し、JR西日本は可部線を維持してきた。しかし、利用者減少と赤字は看過できない事態となって、1998年9月、JR西日本は非電化区間の可部〜三段峡の廃止を表明する。根強い反対運動もあり、列車の増発実験も行われた。しかし営業成績は上がらず、2003年11月に廃止となった。
今となっては痛恨のミスだが……
可部〜三段峡間の廃止決定は、振り返ってみれば問題があった。廃止区間の決定方法だ。横川〜可部は電化区間、可部〜三段峡は非電化区間。この2つの区間を比較して、非電化区間を切り捨てれば区切りがいい。これはJR西日本の列車運転の都合に過ぎない。本来は、区間ごとの輸送密度や需要予測を行い、本当に乗客がいない区間、乗客が見込める区間を見極めるべきだった。
…河戸駅付近の人々は、もとより電化区間の延伸と増発を求めていた。廃止反対運動にも力が入っていた。JR西日本の大ざっぱな廃止区間決定によって乗客が見込める区間も廃止してしまった。
しかし、河戸駅周辺の人々はあきらめなかった。可部〜河戸間の電化延伸の希望は継続し、粘り強く交渉を続けた。そして、とうとうJR西日本から「広島市から要望があれば検討する。ただし費用は地元負担」という条件を引き出した。残念ながら費用の捻出が叶わず、この区間も含めて廃止されてしまう。しかし、広島市と住民との検討会は継続した。
2003年の廃止から4年。住民に追い風が吹いた。2007年に「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」が施行された。自治体による地域公共交通総合連携計画の作成と事業認可の特例を定めた法律だ。この法律に基づいて、2008年にJR可部線活性化協議会が設置された。メンバーは住民代表、広島市、JR西日本、競合となるバス事業者だ。オブザーバーとして国土交通省も参加した。
協議の結果、2013年に新線として可部線の延長区間を整備することで合意した。総工費は約47億円。広島市と国が建設費の大半を負担して建設。JR西日本は無償で借り受ける。
合意まで5年を費やした主な理由は、新線として建設する場合の踏切の扱いだった。休止路線であればもっと手続きは簡易だったかもしれない。しかし、廃止してしまった路線の復活は新線建設に当たる。道路法、踏切道改良促進法では、鉄道と道路の平面交差を原則禁止している。認可に当たっては、廃線時に4つあった踏切は3つに減らし、そのうち1つは自動車通行不可とする案でまとまった。
2003年に非電化区間という大ざっぱなくくりで廃止しなければ……。せめて再開の可能性のある区間だけでも廃止ではなく休止にすれば……。新線建設という大変な手続きは不要だったかもしれない。しかし、廃止は現実だ。…過去の決定について、責めたり悔やんだりしても現実は変わらない。「今、これからどうするか」を考えよう。
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