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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ
977
:
チバQ
:2018/04/12(木) 20:53:06
https://mainichi.jp/articles/20180412/ddm/007/030/088000c
暴力の記憶
ボスニア「民族浄化」から四半世紀/4止 当時の心情詰まった博物館 「子供時代も葬られた」
毎日新聞2018年4月12日 東京朝刊
唯一のおもちゃだった大事な人形、亡くなった母の書きかけの手紙……。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに「子供戦争博物館」が昨年オープンした。紛争中に子供時代を過ごした20〜40代の人々の思い出の品が、それにまつわる「物語」とともに展示される。ヤスミンコ・ハリロビッチ代表(29)は「子供の目から見た戦争の記憶を共有したかった」と話す。
サラエボ出身のハリロビッチさんは紛争勃発時4歳。ボスニア人が多かったサラエボは1992〜96年の約3年半、セルビア人武装勢力に包囲され、連日砲撃が繰り返された。子供たちの多くは地下室で暮らした。
パン1斤を家族9人で分け合ったことや初恋相手だった11歳の少女の死。ハリロビッチさんの子供時代の記憶は紛争と深く結びつく。だが戦後、若者が当時の心情を語る場はなかった。「同世代に大きな影響を与えた戦争」に向き合う必要性を感じた。
2010年、インターネット上で、当時サラエボに住んでいた若者からメッセージ募集を始めた。「スナイパー(狙撃手)は兄を殺し、僕の子供時代も葬った」「恐怖。ただひたすら平和を待った」「笑ったり遊んだりして、少しでもましな時を過ごそうとした」--など、1000以上のメッセージを本にまとめた。
その後に始めた、当時の記憶が詰まった品々を全国から集める企画にはさらに多くの人たちが呼応し、4000以上の品が託された。品々を展示した博物館には昨年約1万6000人の入場者が訪れ、話題を集めた。
ハリロビッチさんは今、次のプロジェクトを進めている。紛争中のシリア、ウクライナの子供たちからメッセージと品物を集め、公開しようとする試みだ。「一人一人が何を感じ、どう日々を生きているのか。彼らの物語に耳を傾けることで彼らと我々の『共通点』が浮かび上がるのでは」。子供にとっての紛争の実像をより深く探ろうとしている。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは10月に総選挙が行われる。だが、ボスニア人、クロアチア人主体のボスニア連邦、セルビア人主体のスルプスカ共和国という二つの「国家内国家」では、それぞれ民族主義政党が台頭している。ボスニア・ヘルツェゴビナ全体の統合より民族の利益を優先する動きが目立ち、国内の分裂は深まっているように映る。
「短い人生を争いに使うことが最も悲しいことだと思う」。ハリロビッチさんは小・中学校への出前授業も始めた。平和を守ることがいかに重要か。今の子供たちに考えてほしいと願っている。【サラエボで三木幸治】=おわり
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