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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ
976
:
チバQ
:2018/04/12(木) 20:52:39
https://mainichi.jp/articles/20180411/ddm/007/030/054000c
暴力の記憶
ボスニア「民族浄化」から四半世紀/3 ホテルで女性200人暴行 観光の町、消し去る惨事
毎日新聞2018年4月11日 東京朝刊
ボスニア・ヘルツェゴビナ東部ビシェグラード中心部から車で5分。小高い丘の中腹に森に囲まれたホテルがある。ボスニア紛争(1992〜95年)中にボスニア人女性約200人が拘束され、何度も性的暴行を受けた上、殺害された「ビリナ・ブラス」だ。ボスニア人からは「レイプ・キャンプ」と呼ばれる。戦後、セルビア人主体の「国家内国家」、スルプスカ共和国となった町で、ホテルの営業は再開された。
3月中旬にホテルを訪れると、外壁は塗り替えられてはいるが、建物は当時のまま。NGOによると性的暴行に使われたベッドもフレームは変わっていないという。ビシェグラードは、16世紀にオスマントルコが建造した「世界遺産」の橋が有名で、多くの観光客が集まる。ホテル駐車場の車の大半は隣国のセルビア、モンテネグロのナンバー。部屋は8割方埋まっており、温泉を使ったプールでは高齢者ら約30人がくつろいでいた。
町はセルビアとの国境にあるため、紛争当初からセルビア兵による「民族浄化」が徹底的に行われた。旧ユーゴ国際戦犯法廷の検察の捜査によると、殺害されたボスニア人は約3000人とされる。
紛争前に町人口の6割超を占めたボスニア人は紛争後、1割以下に激減。セルビア人が9割近くとなる町に様変わりした。ビリナ・ブラスでの戦争犯罪は国連の専門家委員会でも認定されたが、セルビア人住民はこれを強く否定するため、今では国際的な定説とは全く異なった「記憶」が町中に広がっている。ライカ・ユバノビッチさん(79)は「ホテルで戦争犯罪があったなんて聞いたことがない。この町は何も問題はない」。川の遊覧船でガイドをするネナド・シミッチさん(35)は、「ホテルは戦時中、傷ついた兵士が運び込まれる病院だった」と強調し、国連の報告書を「偽造された情報」と一蹴した。
シミッチさんの遊覧船に乗船してみた。紛争時の出来事を知らないのか、西欧からの観光客たちが笑顔で記念写真を撮っていた。シミッチさんは橋の美しさをアピール。紛争については一度も触れなかった。ビシェグラード市に対して戦争犯罪について見解を求めたが、回答はなかった。
一方、ビシェグラードで性的暴行を受けたボスニア人女性のアメラ・メクチュセヤッチさん(45)はこう言う。「町には子供時代の楽しい思い出もあるはずだけど、暴行を受ける前のことがもう思い出せない」
セルビア人のそれとは異なる紛争時の「記憶」に今も苦しむアメラさん。楽しかったはずの幼少期の「記憶」の方は暴力によって奪われてしまった。【ビシェグラード(ボスニア東部)で三木幸治】=つづく
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