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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

945チバQ:2018/01/28(日) 18:35:27
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/sankei-wor1801250025.html
【露大統領選】(4)革命から100年 変わらぬ「専制の国」
01月25日 11:39産経新聞

【露大統領選】(4)革命から100年 変わらぬ「専制の国」

(産経新聞)

 昨年9月下旬から今月上旬まで全80回にわたって連載した「百年の蹉跌(さてつ) ロシア革命とプーチン」では、1917年のロシア革命がもたらした悲劇や、現代にまで残る革命の「負の遺産」について紹介した。革命から100年の歴史を通じて浮かび上がるのは、皇帝、ソ連共産党書記長、ロシア大統領と職位の名前は変われど、基本的にロシアは「専制の国」であり続けたという現実である。

 帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ2世は1917年の二月革命で退位した。十月革命を受けて発足したソ連では、共産党による一党独裁制のもとで、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフの各指導者が国を治めた。91年のソ連崩壊後、ロシアではエリツィン氏が初代大統領を務めた。

 この間、純粋な民主的選挙によって政権交代が起きたことは1度もない。

 ソ連時代には、失脚したフルシチョフ氏を除く全員が、前任者の死去に伴って最高指導者となった。現ロシア大統領のプーチン氏は、連邦保安局(FSB)長官だった99年、エリツィン氏から後継指名を受け、翌年3月の繰り上げ大統領選で当選した。

 エリツィン氏は民主化の旗手としてソ連末期に台頭したが、議会制民主主義を制度として定着させることには失敗し、プーチン氏の強権体制に道を開いた。

 あらゆる改革が「上から」のイニシアティブで行われてきたことも、ロシア・旧ソ連の歴史を貫いている。改革が機を逸した結果がロシア革命であり、ソ連崩壊の激震だった。

 帝政末期の06〜11年には、プーチン氏も敬愛するストルイピン首相が農業改革に取り組み、個人農の創出によって革命を防ごうとした。しかし、急進化していた革命勢力は帝政温存の試みに反発し、ストルイピン氏の暗殺によって改革の道は絶たれた。

 ソ連末期のゴルバチョフ共産党書記長はペレストロイカ(再建)と称する改革路線を打ち出し、民主化や経済の部分的自由化に舵を切った。だが、ブレジネフ政権期に構造改革を怠ったツケは大きく、経済の破綻と民族問題の噴出でソ連は崩壊した。

 「プーチン時代」はすでにブレジネフ政権期と同じ約18年間続いており、やはり体制の硬直化が指摘されている。


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