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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

632チバQ:2016/09/02(金) 19:44:40
http://mainichi.jp/articles/20160822/ddm/007/030/076000c

終わらない紛争

ウクライナ東部/中 露介入、真相は闇の中

毎日新聞2016年8月22日 東京朝刊


 銃撃で穴だらけの道路標識、地面に散乱する砲弾のかけら。廃虚と化した空港ターミナルビルが林の間にのぞく。7月中旬、ウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力の激戦地だったドネツク国際空港の手前まで入った。滑走路を隔てて今も両者がにらみ合う。「ドーン、ドーン」と砲声が鈍く響いた。


 空港は親露派拠点都市ドネツクの外れに位置する。紛争初期の2014年5月に政府軍が空爆に踏み切り、戦闘が本格化。15年1月に政府軍が退却するまで双方がしのぎを削った。案内役の親露派戦闘員は「数百人が死亡し、遺体が多数残っている」と話す。

 キエフに住むニーナ・ブラノビツカヤさん(65)は、空港にいた政府軍兵士の長男イーゴリさん(当時38歳)を失った。仲間を助けようとして捕虜になり、射殺された。「子供を戦争に行かせるために育てる親などいません。ロシアさえ紛争に介入しなかったら……」。勲章を見つめ、「優しい子でした」と涙をこぼした。

 ウクライナ東部2州へのロシアの介入は、14年春に現地での扇動工作から始まったとみられる。政府軍の攻勢が強まった14年夏には戦車部隊などを直接侵攻させ、形勢を逆転させた模様だ。プーチン政権は否定し続けるが、ロシアでも問題視する声はある。

 軍事専門の人権活動家、セルゲイ・クリベンコ氏(53)は、死亡軍人に関する地方各紙の報道などを分析。14〜15年にかけて、少なくとも約80人の死因や死亡場所が不明と突き止めた。だが、当局に照会しても「あいまいな回答しか得られなかった」。

 さらに、ウクライナ東部へ送られたという軍人たちと面談し、実態を聞き取った。現地入り前に所属表示の無い迷彩服に着替えさせられ、身分証や個人の認識票も置いていくよう指示されていた。「だから身元確認できないのです」

 ドネツク郊外の墓地には「身元不明戦士」とだけ記された数十の墓標が並んでいた。地元記者によると、ロシア軍人が埋葬されている可能性が高い。軍事介入問題を追及してきたロシアの野党政治家、レフ・シュロスベルク氏(53)は「軍人にとって秘密裏の埋葬は恥辱そのもの。(ロシア当局のやり方は)『犯罪行為』と語る将校もいる」と指摘する。プーチン政権によるメディア統制の下、調査報道は一部の独立系紙などに限られる。ロシア軍が兵士を何人送り、どれだけの死傷者が出ているのか。全体像は闇の中だ。【ドネツク、キエフで真野森作】


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