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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

1236チバQ:2020/01/16(木) 13:33:22
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/202001/CK2020010702000123.html
<民衆の叫び 世界を覆うデモ>(6)ロシア 愛国心、利用された

2020年1月7日 朝刊


モスクワで昨年5月9日にあった「不滅の連隊」で、父親の写真を手に参加したロシアのプーチン大統領(前列右から2人目)=タス・共同

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 首都モスクワの目抜き通りを埋めた人波は、いつ途切れるとも知れなかった。「ウラー(万歳)」と叫ぶ人々の胸に、思いが交錯する。親族を失った悲しみとファシズムに勝利した誇らしさと。

 昨年五月九日。旧ソ連がナチス・ドイツを倒した対独戦勝記念日に、戦没者と退役軍人の功績をしのぶ市民のパレード「不滅の連隊」がロシア全土で行われ、モスクワでは約七十万人が「赤の広場」などを練り歩いた。八年前に始まった愛国パレードは今や、国民的行事として根付いた。

 ロシアで第二次大戦の対独戦は「大祖国戦争」と呼ばれる。兵士だけで八百七十万人、民間人を含むと二千六百万人以上の死者を出し「戦争で無傷だった家庭はない」とさえいわれる。

 不滅の連隊は二〇一二年、西シベリアの都市トムスクで初めて行われた。当時は一握りの遺族が退役軍人の功績をたたえて自発的に行進した。これを国民の愛国心を鼓舞する一大官製運動に仕上げたのがプーチン政権だ。

 プーチン大統領は戦勝七十周年の節目となった一五年のパレードに初めて参加。戦死はしなかったが負傷した亡父の写真を持って先頭に立った。「父は自ら戦場を志願した」。プーチン氏は愛国者の姿をことさら強調した。その様子は国営テレビで中継され、政府系紙の一面も飾った。政権主導の愛国イベントになり、参加者の規模は年を追うごとに拡大していった。

 昨年は五百都市で参加者は一千万人規模となった。「曽祖父はドイツ兵に立ち向かい戦死しました」。赤の広場ではテレビ記者が向けたマイクに子どもがすらすらと応え、帰還しなかった父の遺影を抱き締めた女性はそっと目元を拭った。

 著名な民族派の評論家ニコライ・スタリコフ氏は「ロシア人の誰もが戦勝記念日に国民同士のつながりを強く意識するからだ」と盛り上がる理由を説く。

 デモの拡大に一役買ったのが黒とオレンジ色のしま模様の「ゲオルギー・リボン」だ。国営通信社が十五年前、大祖国戦争での国民の団結を市民に想起させようと配布、戦勝のシンボルとして人気を集めるようになった。

 モスクワでは昨夏、若者を中心に大規模な反政権デモが起きたが、プーチン政権は厳しく取り締まった。対照的に「不滅の連隊」でゲオルギー・リボンを胸元に飾る政府高官の姿からは、貧富の格差や政権への不満を「愛国心」でそらそうという思惑が透けてみえる。軍事評論家のアレクサンドル・ゴリツ氏は「官僚や政治家が、パレードをどこで何人規模で行うかなど、計画を(政権の指示通りに)こと細かく決めている」と指摘する。

 国民的キャンペーンになったことに違和感を覚える市民もいる。会社員のナタリアさん(28)は「大祖国戦争はロシアにとって神聖な記憶。政権のPRに使われるのはおかしい」と語るが、公の場での批判はタブーだ。幼児が軍服に身を包んで行進する様子を「カーニバル」とつぶやいた男性のツイッターは「非国民」とネット上でたたかれた。

 遺族の素朴な気持ちから始まり、いつしか政権に手綱を奪われた不滅の連隊。ゴリツ氏は冷ややかに分析する。「数年すれば市民は愛国心が政治家に利用されたことに気付く。そのとき(愛国)パレードの歴史も終わる」

 (モスクワで、小柳悠志)


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