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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

1155チバQ:2019/03/29(金) 22:51:47
◇米国は嫌いだけど、マクドナルドには禁断症状も

 「ドンマック」。ここは私がドネツクを訪れた際に、行ってみたかったハンバーガーチェーンである。欧米諸国が科した制裁により、マクドナルドが去った市内で16年から営業している。ドネツクなどウクライナ東部一帯は「ドンバス地方」と呼ばれる。その頭文字の「ドン」と、立ち去った「マック」を掛け合わせて名付けられた。音の響きも悪くないし、何よりもマクドナルドをまねした「開き直りぶり」がおかしくてたまらない。

 ウクライナ東部で続く戦闘について、その原因の一つをたどれば、ロシアと米国の対立に行き着く。冷戦後の米国は国力を落としたロシアを横目に、ウクライナでの影響力を拡大しようと試みてきた。例として真っ先に挙げられるのが2004年大統領選だ。親露派の与党候補だったヤヌコビッチ氏を当選とした選挙結果が不正に基づくものだという抗議運動「オレンジ革命」を受け、やり直し決選投票で親欧米派のユーシェンコ氏が当選した。そしてオレンジ革命は、欧米諸国やウクライナ中部・西部で「民主化運動」とたたえられた。だがドネツクなどウクライナ東部や、その後ろ盾だったロシアは「米国の介入」と捉えた。ヤヌコビッチ氏は10年大統領で当選したが、13年秋から政権に対する抗議運動が起こり、翌14年に政権が崩壊。この時も、東部では同じような見方が広がった。

 当然ながらドネツクでは米国への反感が根強い。それでも私がドンマックのエピソードが「面白い」と思ってしまうのは、米国を嫌う「感情」と、マクドナルドを好む「食欲」が分かれてしまう点である。

 同僚の真野森作記者は14年の戦闘発生当初から、現地の情勢を熱心に伝えてきた一人だ。かつて開店直後のドンマックを取材した真野記者によると、16歳の少女はマクドナルドの「禁断症状」が出てしまい、近くのロシアの都市まで食べに行っていたという。制裁下のドネツクでは一時期、コカコーラも姿を消していた。だから真野記者が一緒に仕事をしていた男性カメラマンは「ああコーラが飲みたい」と叫んでいたそうだ。(現在はコーラの販売が再開されているが、そこに至る詳しい経緯は分からない)

 このようなエピソードを聞くと、米国発のハンバーガーと炭酸飲料がいかにドネツクの人々の生活に浸透していたかが分かる。そして長引く戦闘の影響を受け、住民は「楽しみの一つ」を奪われた。その隙(すき)に入り込んだのがドンマックのようだ。

 ◇人気のない地元ハンバーガー

 ドネツクに着いてから2日目。取材の合間に「待望」のドンマックに足を運んだ。ДонМак。キリル文字を使ったロシア語ではこう表記する。ロゴを眺めると、Mの文字がひと際大きく、しかも黄色で強調されている。この点だけでも、米国発のバーガーチェーンをまねしていることが一目瞭然だ。

 ヤナさんと一緒に店の中へ。この店の味をじっくりと鑑賞したいから、大きいサイズを頼んだ。商品名はズバリ「ビックマック」だ。一緒に頼んだフライドポテトも真っ赤なパッケージに入れられて、大きなMの文字が記されていた。ここまで徹底されると妙に感心してしまう。

 食べてみた「ビックマック」はまあまあの味だった。ただし私は普段暮らしているロシアでもマクドナルドへはほとんど行かないから、オリジナルとの味を比べるすべは知らない。フライドポテトにもついつい手が伸びたのだが、「夕食に響いてしまう」と理性を働かせ、途中で手を止めた。ただし「ペプシコ」と言って出された炭酸飲料は、砂糖の味が強すぎておいしくなかった。

 「そんなに悪くないと思うんだけれども」。ヤナさんに感想を告げたのだが、首を横に振られた。かつてあったマクドナルドに比べると、味は落ちたという。彼女には13歳の一人娘がいるのだが「ドンマックに食べに行こうか。そう誘っても乗ってこないのよ。こういう店が子どもに好かれなかったら駄目じゃない」と言う。なるほど子どもたちの舌は正直なようだ。マクドナルドに去られドネツクでは、住民が模倣品で食べしのぎながらも、「本物」を恋しがっているようだった。


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