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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

1052チバQ:2018/09/02(日) 23:23:29
https://www.sankei.com/world/news/180901/wor1809010001-n1.html
2018.9.1 09:00
【特派員発】
旧ソ連小国の「革命」、いらだつプーチン政権 民主化・民族自決へロシア離れの象徴に アルメニア・遠藤良介
 旧ソ連の小国で起きた「革命」の行方を、ロシアのプーチン政権が神経質に注視している。人口約293万人のアルメニアで今年春、大規模な街頭デモで親露派のセルジ・サルキシャン首相(64)が退陣に追い込まれ、ジャーナリスト出身の民主派指導者、ニコル・パシニャン氏(43)が政権に就いた政変である。アルメニアの「革命」は、民主化や民族自決を求め、「ロシア離れ」を進める旧ソ連諸国の動きを象徴している。

 8月17日夜、アルメニアの首都エレバン中心部の共和国広場と周辺の道路を、数万人の老若男女が埋め尽くした。「革命から100日」を祝う集会は、新政権を支持する大衆の熱気がなお冷めていないことを示していた。

政権居座りに怒り

 「ちょうど100日前、あなた方の行動が私を首相に就けた。皆さんが勝利したのだ。世界中が予想しなかったことだ」

 広場の特設ステージから、パシニャン氏が高い声を張り上げて演説した。

 「今、アルメニアには古代ギリシャのような直接民主制がある。連立政府も議会多数派も関係ない。大衆が権力を形成するのだ。重要なことは全て、この広場で皆さんに問いたい」

 ひときわ大きな喝采が上がったのは、「汚職との戦い」を改めて強く宣言したときだった。「30年間にわたって奪われた金を残らず取り戻す!」。「ニコル、ニコル」の大歓声が、石造りの建物に囲まれた広場に響き渡った。

 アルメニア情勢が流動化したのは4月だった。2008年から大統領を務めた親露派のサルキシャン氏が、首相に転じて政権に居座ることになり、パシニャン氏の率いるデモが膨れあがっていったのだ。

 サルキシャン前政権が15年に行った改憲が伏線だった。アルメニア憲法は大統領任期を2期10年までと定めていたが、前政権は、大統領権限の大半を首相に移し、首相を実質的な権力者とするよう憲法を改定した。

 サルキシャン氏は「首相になるつもりはない」と繰り返し表明していたが、今年4月に大統領2期目を終えると、すぐに議会で首相に選出された。

 「それまでも奨学金や徴兵をめぐる問題で学生の反政権運動はあった。サルキシャンが首相に就いたことで、蓄積していた大衆の怒りが破裂した。人々は、これを市民としての尊厳にかかわる問題だととらえた」

 パシニャン氏の陣営でデモの組織に携わったワハン・コスタニャン氏(23)は振り返る。

 議会では、サルキシャン氏を支持する勢力が圧倒的で、パシニャン氏の母体会派「エルク」は105議席中わずか9議席しか占めていない。しかし、街頭には最大時で約16万人が繰り出し、議会に圧力をかけた。

 パシニャン氏は、1989年の旧チェコスロバキアの無血民主化革命に名を借り、「ビロード革命」を成功させると宣言。大衆はサルキシャン氏の辞任とパシニャン氏の首相選出を要求し続けた。

 4月23日、デモ隊がエレバンの幹線道路を封鎖し、軍人の一部も制服姿でデモに合流。治安部隊との衝突と流血も懸念された中、サルキシャン氏は「私が間違っていた」と辞任を表明した。議会では、2度目の投票で与党がパシニャン氏支持に流れ、同氏は5月8日に首相に選出された。

領土問題で庇護必要

 旧ソ連圏をめぐっては、ジョージア(グルジア)で2003年、選挙不正疑惑に抗議する大規模な街頭行動が起こり当時の政権が崩壊、親欧米派のミハイル・サーカシビリ氏(50)が翌年大統領に就任した。急進的な親欧米路線をとったジョージアとロシアの対立は深まり、08年には軍事衝突する事態となった。

 ロシアの“兄弟国”といわれたウクライナでも14年2月、大規模デモで親露派のビクトル・ヤヌコビッチ政権が崩壊した。デモは、同政権がロシアの圧力で欧州統合路線を棚上げしたことを契機としていた。人々は政権や官僚機構の腐敗にも抗議し、これを「革命」と位置づけた。


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