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公明党・創価学会スレ
202
:
とはずがたり
:2016/06/21(火) 13:48:11
2016年06月21日 08時00分 更新
スピン経済の歩き方:
舛添さんが「公明党」に見捨てられた、本当の理由
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1606/21/news046.html
スピン経済の歩き方:
日本ではあまり馴染みがないが、海外では政治家や企業が自分に有利な情報操作を行うことを「スピンコントロール」と呼ぶ。企業戦略には実はこの「スピン」という視点が欠かすことができない。
「情報操作」というと日本ではネガティブなイメージが強いが、ビジネスにおいて自社の商品やサービスの優位性を顧客や社会に伝えるのは当然だ。裏を返せばヒットしている商品や成功している企業は「スピン」がうまく機能をしている、と言えるのかもしれない。
そこで、本連載では私たちが普段何気なく接している経済情報、企業のプロモーション、PRにいったいどのような狙いがあり、緻密な戦略があるのかという「スピン」を紐解いていきたい。
「文春砲」から1カ月以上にわたってサンドバック状態だった舛添要一東京都知事がついに辞表を提出した。
猪瀬さんがお辞めになった後、都知事に名乗りをあげた舛添さんに対して当初、自民党は冷たかった。厚労大臣で知名度が上がるや否や、「自民党の歴史的使命は終わった」とサクッと離党届を提出。後ろ足で砂をかけるように、「新党改革」を立ち上げたいわば“裏切り者”だからだ。
実際、舛添支援の方針が決まった後も、小泉進次郎さんが「応援をする大義がない」とバッサリやったように党内では拒否反応を示す者も少なくなかった。
消去法で応援にまわったものの、やはりなかなか一枚岩になれなかった。そんな頼りない自民党に代わって、鉄の結束で舛添さんを支えたのが公明党だ。
ご存じのように、公明党のバックには、「学会票」がある。中でも創価学会婦人部は、かつてセックススキャンダルで落選した山崎拓さんですら国政に送り返した「武勇伝」もあるほど選挙に滅法強い。
バツ2だけでなく、2人の愛人が産んだお子さんが3人いたりという艶福家(えんぷくか)イメージに加え、選挙前には「元妻へのDV疑惑」まで報じられた舛添さんもヤマタクさんとややかぶる。つまり、舛添さんにとって公明党は自身の「弱点」を補完してくれるなんともありがたい「友人」なのだ。
その公明党からクビを宣告されたら、さすがに鉄のハートをもつ男も「終わった」と思う。公明が離れれば、もともとそこまで積極的に支援をしていたわけでもない自民もそこまでかばいだてする「義理」はない。
では、なぜ公明党は舛添さんを見切ったのか。
政治評論家のみなさんの中には、参院選を間近に控え、舛添さんの国民的マイナスイメージに巻き込まれたくなかったから、という見方をされる方が多い。党利党略的にはその通りだろう。
だが、なかなか態度を決めかねていた自民党に対し、あそこまで威勢よく三行半を突き付けたのは、舛添さんが「奥多摩」をディスったことが原因ではないかと思っている。
神奈川・湯河原町の別荘への公用車通いが発覚した直後、まだバリバリの論破モードで登壇をしていた舛添さんは、「別荘にいる時に首都直下地震が起きたらどうするんだ」という記者からの質問に対してこう答えた。
「全く問題ありません。奥多摩よりも、おそらく早く帰ってこられる。少なくとも時間・距離的に言うと、早いです。湯河原の方が」
後に、西多摩選出都議から「東京都の知事が奥多摩や檜原と湯河原を比較し、あたかも奥多摩が遠くて湯河原が近いように言うことは信じがたい」と批判され、謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい。
ただ、この「失言」は、奥多摩にお住まいの方たちがイラッとしただけではなく、舛添さんの「友人」もかなり不快な思いをされた。というのも、創価学会のみなさんにとって、「奥多摩」というのは特別な意味をもっている場所だからだ。
部外者が語って何か間違いがあると困るので、多摩地域を管轄する創価学会第2総東京のWebサイトから、小川武志・第2総東京長の説明を引用させていただこう。
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