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第23回参議院議員選挙(2013年)

2880チバQ:2013/07/27(土) 10:13:13
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/news/20130725-OYT8T01375.htm
民・み 不和で自独走

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みんなの党・藤岡さん(右)から握手され、とっさに左手で制止する民主党県連の渡部幹事長(7月5日、松山市で)

 21日に投開票された参院選で、愛媛選挙区(改選定数1)は自民党の井原巧さん(49)が初当選を果たした。党への追い風も受け、投票数の67%にあたる37万票余りを得た。対抗したみんなの党の藤岡佳代子さん(47)は18%にあたる10万票余り。ほぼ無名の状態で公示1か月余り前に立候補表明、最後まで苦戦した。井原さんの〈独走〉に終わった選挙戦を振り返る。

■色々な事情

 「温かい協力をお願いします。苦戦しています」。公示翌日の7月5日、藤岡さんは笑みを浮かべながら、民主党県連の渡部昭幹事長に握手を求めた。

 「ちょっと離してください」。渡部幹事長は、右手を握られ、困惑した表情を見せた。この日の回答は「どこからも態度がない」。みんな県連側から協力の要請がない、との意味だ。

 みんな、民主の両党は5月下旬、改選定数1の「1人区」では“共倒れ”を防ぐため、候補者を一本化することで合意。6月下旬には、選挙協力することまで踏み込んで方針が確認された。藤岡さんは、党本部の意向通り、選挙協力を求めた。

 しかし、両県連の間には根深い溝があり、選挙戦では最後まで〈非自民の共闘〉は見えなかった。みんな県連の横山博幸代表は、かつて民主県連幹事長を務め、昨年4月、民主党の消費税増税方針などに反発し離党していた。

 そうした因縁からか、横山代表は選挙協力を否定し続け、「政策の違うところと同じ方向を向くのは難しい」と、繰り返すだけだった。

 民主県連も、歩み寄りを見せなかった。永江孝子県連代表が、立候補の意思を表していたにもかかわらず、党本部の候補者調整により出馬を断念せざるを得なかった経緯があった。

 永江代表は7月9日、みんなへの譲歩があるかどうかを報道陣に問われ、感情を抑えきれずにいらだった。「我々から(藤岡さんを)『応援させてください』と言うのは違うのではないか。候補者を(みんなの党に)譲ったことで、すでに大きな協力をしている」

 県内では最後まで、党本部同士の“事情”は通用しなかった。

 21日夜、開票が始まってまもなく、藤岡さんの落選が明らかになった。藤岡さんは敗戦の弁を述べながら、党本部と県連の板挟みで苦しんだ心情を漏らした。「『色々な事情』があることを知っておけば、スムーズにできたと思う」

■消えた「強敵」

 井原さんが四国中央市長を辞し、立候補のための準備を本格的に進めていた当初、仮想敵は永江・民主県連代表だったという。民放アナウンサー、衆院議員の経歴を持ち、県内の民主関係者では屈指の知名度があったためだ。

 4月から選挙運動が終わるまでに、井原さんは県内全市町を3巡した。陣営関係者は「きついスケジュールだったが、永江に対抗するためだった」と振り返った。結局、知名度のある「強敵」は消え、陣営は楽勝ムードを振り払うのに懸命だったという。

 読売新聞社と日本テレビ系列各局が21日に共同実施した出口調査では、無党派層の半分余りが井原さんに投票していた。

 一方、共産党の植木正勝さん(60)は6万票余りを獲得し、同党候補者の得票率を前回選よりも3ポイント余り伸ばした。陣営幹部は「自公政権への批判の受け皿になれた」と手応えを語る。

■無風の結果

 結果が見え透いたのか、選挙結果は「無風」だった。投票率は過去最低の49・40%だった。

 永江代表は24日、民主が候補を立てず、比例でも惨敗した責任を取るとして、代表辞任の意向を示した。

(2013年7月26日 読売新聞)


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