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第23回参議院議員選挙(2013年)
2877
:
名無しさん
:2013/07/26(金) 23:06:44
http://www.asahi.com/area/iwate/articles/MTW20130724030910001.html
「復興」で一点突破
「県や復興庁に、ガツッとやるように言いますので」。住宅再建の不安を口にする仮設住宅の住民らに声を掛ける平野達男氏=5日、釜石市
【岩井建樹】「復興大臣になったつもりで被災地を歩く」
3選を果たした翌22日朝。無所属の平野達男氏は会見で、「復興庁の職員を呼んで話を聞き、問題点を整理する。よい提案をすれば政府も受け入れる」。復興相を務めた人脈と経験があれば、政党に頼らなくとも問題はない、と言わんばかりだった。
「組織も金もない選挙戦」(陣営幹部)。平野氏は17日間の選挙戦でひたすら街頭に立ち、演説の大半を復興に費やした。他の候補者や政党の批判はせず、「復興の最前線に立つ覚悟だ」と訴え続けた。
自民党が閣僚や人気の若手議員らを連日投入し、「無所属議員に何が出来るのか」と批判を口にするのとは対照的な姿だった。
被災地では、仮設団地を100カ所以上まわった。平野氏は「被災者に話をするのは当然」と言う一方、「戦術的な面もあった」。仮設団地で被災者と語り合う姿は、復興を訴える平野氏のイメージと重なった。
7月11日の月命日には他陣営が被災地に押しかける中、平野氏は「その日は遺族がお墓参りをする日」と内陸部を遊説。その日の夜に盛岡市で開かれた集会では、陣営幹部が「月命日を選挙に利用せず、遊説を避けた平野氏は他の候補者とはやはり違う」と訴えた。
こうした「完全無所属」「復興最優先」の姿勢を徹底する戦略が功を奏す。無党派層に加え、民主党、社民党といった「反自民層」、さらに落下傘候補に違和感をぬぐえない「自民支持層」の受け皿となっていった。
●慎重に自民と距離
ただ、平野氏が始めから政党の看板に頼らなかったわけではない。
沈む船に乗りたくないと4月に民主から逃げだした時には、「自分の原点は保守」と語り、上り調子の自民に支援を求めた。それがかなわないと、平野氏はショックで寝込んだ。
5月の連休明けから、同級生や地元北上の企業の支援を受けて活動を再開。民主、地域政党いわて、無所属の県議8人も支援に回った。
息を吹き返した平野氏はその後、自民を連想させる「保守」との言葉を使うのを控えた。自民に秋波を送った経緯から、「当選後に自民入りするのでは」とのうわさが出て、支援県議の後援会にも戸惑いが広がっていた。
陣営幹部は打ち明ける。「民主や社民など『反自民層』を取り込むためには、自民入りのうわさは迷惑だった。頭のいい平野さんは言葉を慎重に選んだ」
●当選で連携流動的に
とはいえ、当選すれば話は変わる。
平野氏は「当面は無所属で復興最優先で活動する」との考えだ。一方、平野氏が強い関心を示すTPP参加問題や社会保障と税の一体改革については「1人でやるには限界がある」とも述べ、政党との連携も視野に入れている。
自民側は選挙中、自民支持層が平野氏に流れることを懸念し、「平野氏の自民入りはない」とうわさの打ち消しに躍起となっていた。
だが、4月に秋波を送られた際に平野氏を推した二階俊博総務会長代行が19日に県内入りした際、「平野氏は敵ではない」と言うなど、自民内には平野氏を評価する声も一部に残る。
平野氏は当選直後、記者団の取材に「今は自民入りはない」と話したが、岩手でどうしても勝てない自民が、平野氏に接触する可能性は残り、流動的だ。
北上後援会長として平野氏を支え続けた中村好雄氏は推し量る。「当選の経緯からして今は動けない。政界の動向を見ながら立ち位置を決めるつもりではないか」
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