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第23回参議院議員選挙(2013年)

2236チバQ:2013/06/29(土) 08:41:55
http://senkyo.mainichi.jp/news/20130628ddp041010021000c.html

2013参院選の現場:沖縄民意、無視続く 「普天間」自民党本部とねじれ、「教科書検定」で見た溝は今も

毎日新聞 2013年06月28日 西部朝刊


 自民党の参院選公約を、厳しい目で見る党員がいる。元沖縄県議会議長の仲里利信さん(76)。沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設先を、党本部は県内の「名護市辺野古」として公約に明記。地域版公約で「県外」とする方針の沖縄県連とねじれた状態で選挙戦に突入する。「普天間に限らず県民が嫌だと言っても強引に押し込んでくる」。仲里さんは、そう言って沖縄の民意が無視され続ける歴史を振り返った。【平川哲也】

 2007年9月、宜野湾市で開かれた県民大会には怒りが渦巻いていた。沖縄戦の「集団自決」を巡る文部科学省の教科書検定で、従来認められていた「日本軍の強制」を趣旨とする記述に意見が付き、教科書会社側が強制性に関する記述を削除・修正した。検定意見撤回を求め、県議会など22団体が超党派の県民大会を主催した。仲里さんは実行委員長を務めた。

 萌芽(ほうが)はその3カ月前。自民県連内には開催をいぶかる声があった。仲里さんは県議会常任委員会で発言を求めた。「沖縄戦の私の体験を聞いてください」

 仲里さんは1945年4月当時、8歳だった。親族8人で本島北部に避難し、約200人とともに壕(ごう)に隠れていた。「暗闇が怖くて、3歳の妹と従妹が泣きじゃくっていると、銃を持った3人の日本兵が毒入りの握り飯を食べるよう言った」。「殺すわけにはいかない」と言う祖母に従い8人は壕から出た。墓に隠れたり、山にこもったりして逃避行を続けたが、1歳の末弟は栄養失調で亡くなった。自身もマラリアに感染し生死をさまよった。

 その証言に、革新系の県議から「小異を捨てよう」との声が出た。県議会は検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決、県民大会へと舵(かじ)を切る。文科省の審議会は教科書会社の訂正申請に応じる形で「軍が関与した」との表現を認めた。仲里さんは「実行委員長が党員の私だということに党本部は一番困ったようだ。だが保守、革新の問題ではなく、軍による強制が沖縄の信条だから大会は開かれた」と話す。

 問題となった当時の首相はくしくも今と同じ安倍晋三氏。教科書検定問題に仲里さんが見た政府と沖縄の間の溝は、普天間移設にも重なる。「辺野古移設を容認したら、沖縄の民意は得られない。党本部はあまりに県民の気持ちを知らない。安倍首相も分かったふりをして分かっていない」


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