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椿姫彩菜とセメンヤで考える、性について

81名無しさん:2010/02/20(土) 20:06:05
>>80
> 障碍とはなんぞや
> やはり実生活・社会生活して行く上で障碍が発生すると「障碍」なんでしょうか?

あくまで個人的な考えですが、その人にとって生きてく、生活してく上で「障碍だ」と感じた場合はやはりそれは障碍なんでしょうね。
ただそれが割と一般的なものだったり、修正しやすいものだと、障碍というより短所や個性として認識されてくような感じでしょうか。

例えば「足が遅い」なんてのは野生動物だったら生死に直結する事もあるので彼らにとっては「障碍」だと思うんですが、人間は「足が遅い」だけじゃ死んだりしない。
生活上もたまに不便を感じるでしょうが、その程度で済んでいるし、そういう人でも早く移動できる手段を作ってもいる。

親の世代だと「左利き」なんてのも障碍同様な扱いだったような話も聞きます、今でも左利きの人からはよく不便だという話を聞きます。
ただこれは数が多いし矯正も利きやすいようなので障碍と言い立てる人はまずいないし認められる事もないでしょう。

性同一性障碍は、生命体として重要な生殖行為において間違いなく「障碍」になります。
家族からの理解が得にくいというのも、なんだかんだ言って家族という単位が過去の生殖行為により構成されてる事もあると思います。
本人の自覚と事実が違う=性の不一致というのは、ある意味で家族という単位の再生産を否定してる訳ですから。
例えば男の子が「女の子の格好をしたい」と言った場合に親が困るのも、それが将来的に固定されるとどうなるか、それを考えてしまうからだと思います。
だから昔はそういう事があると、無理矢理でも男として矯正して育てていたんじゃないでしょうか。
今はそれを無視しないようになってきてるけど良い対処方法がまだ広まってない(見つかってすらいないかもしれない)。

仮にですが、そういう問題となる部分が取り除かれた場合、
例えば性別は全て自己申告で、全ての生殖行為は試験管の中のDNA複製とかなった場合、当人は勿論家族も案外大した問題を感じずにいられる気がします。
逆に言うとそうならない限り、本人にとって「障碍」という感覚は消えてなくならない気がしますし、>>75とかもそういう意味合いで考えるべき話なのかなとか。


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