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椿姫彩菜とセメンヤで考える、性について

669名無しさん:2016/04/23(土) 11:39:17
>>668

●鬼義重が一目ぼれした相手とは!?

関東の北東に位置する常陸の国は東北の出入り口にも当たり、有名な白河の関のある白河とも隣接しています。そのため、義重は北条家をはじめとする関東の大名だけでなく、東北の大名にも対処しなくてはなりませんでした。

なかでも、会津を本拠とする蘆名家は盛氏という英主を出したこともあり、富裕で精強な大名でした。

1572年には、現在の福島県にあたる陸奥南郷の寺山城をめぐって激しく戦っています。

この時は、義重の戦略で蘆名・田村・白河の連合軍の攻撃を防ぎ、謙信の仲介を得て講和しました。

盛氏が1580年に死去した後も蘆名家の鋭鋒は衰えず、義重は南奥で彼らと昼一城得れば、夜一城奪わるといった熾烈な争いを演じていました。

ある時、蘆名家の本隊と遭遇した義重は持ち前の武略で激しく攻めたて、旗本を突き崩すと、自慢の愛刀、八文字長義が相手方の大将と思われる人物に届くところまで迫りました。南北朝時代の名工、長義が鍛えた、二尺五寸九分の八文字長義は、かつて北条家と戦った際、この刀で敵の騎馬武者を斬った際、相手は脳天から八文字に別れて、馬の左右に落ちたため、その名がついたといいます。

今回もその習いにしてくれんと、剛腕に力をこめ、気合も十分、刀を振るうと、切っ先はわずかにそれ、相手の兜をはねとばしました。

そして、その下から出てきた顔は何たること。

墨の如き黒髪、劣勢の口惜しさに涙のにじむ艶やかな目、怒りに膨らむ愛らしい小鼻、噛みしめて流れる血よりもなお赤い唇。いにしえの義経もかくやというような若武者であります。

(美しい……)

思わず義重は見とれ、二の太刀を振るのも忘れてしまいました。その間に、たちまち彼我の旗本が殺到し、義重と美しい若武者を分けました。入り乱れての乱戦のすえ、義重は自陣に帰りましたが、あの若武者の姿が目に焼き付いて離れず、夜が暮れて、露に濡れた草の上に臥した後も、寝入ることが出来ませんでした。

「鬼」と言われた荒武者が一目ぼれしたこの少年こそが、名君だった盛氏の跡をついだ、現蘆名家当主、蘆名盛隆(もりたか)その人だったのです。

参考文献:『佐竹義重』(福島正義著、人物往来社)/『武功雑記』(松浦鎮信著、青山清吉)/『奥羽永慶軍記』(戸部正直著、無明舎出版)/『男色の日本史--なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか』(ゲイリー・P・リュープ著、松原國師監修、藤田真利子訳、作品社)/『武士道とエロス』(氏家幹人著、講談社現代新書)/『男色の景色―いはねばこそあれ』(丹尾安典著、新潮社)/『江戸男色考〈若衆篇〉』(柴山肇著、批評社)/ 『江戸男色考〈悪所篇〉』(柴山肇著、批評社)『世界ボーイズラブ大全』(桐生操、文春文庫)

黒澤はゆま


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