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椿姫彩菜とセメンヤで考える、性について

25新党日本支持者:2010/02/13(土) 22:56:41
(引用開始)

・まだ本当に好きな人に出会っていないだけよ。

 では性愛者は「本当に好きな人」としか恋愛しないのでしょうか。わたしの見たところそうではなさそうですが。
非性愛者だけがその経験を現実には誰も実践していない形式だけの決まり文句の枠内で語らされるのは、どうにも
子ども扱いされているような気がしてならない。同性愛なんて思春期だけよ、とも似ています。大人になれば治る、
などといって未熟なパーソナリティの持ち主にされてしまうのです。

・恋愛なんてろくなもんじゃない、でしょ?

 知りません。わたしはただ恋愛をしたいと思わないだけです。その撲滅を望んでいるわけではなく、
他人の楽しみをよりよいものにするために苦言を呈する義理もない。恋愛の話は確かにつまらないけれど、
その悪口も同じように退屈です。恋愛なんてくだらない、だからしなくてもいいと性愛者に認めさせる必要はありません。
それがどれほど素晴らしいものであったとしても、しない権利は揺るがないはずです。


 性自認と性器の形状による性別が異なることを「障害」としておきながら、性差とは曖昧で連続的なもの、という一見
正しそうな言説を持ちだし、だからこういう人がいたっていいんじゃない? という話の持って行きかたをすることには
疑問を感じます。本当に性の境界が絶対視されていないならそれが「障害」扱いされることにはならないはずです。

性別が絶対でない社会でも肉体的な性別違和はあり得るでしょうし、なくなるべきだとも思いませんが、トランスジェンダー
の人が異物と見做されることから生じる違和感という意味での“性別違和”は、この社会の性別秩序の産物でしょう。

 それになにより、いたっていいんじゃない? ってのがまず偉そうで不愉快です。「いたら悪い」のならどうだと
いうのでしょうか。多数派に存在を許可していただかなくとも誰も死にはしません。たかが今の自分の性器に不満がない
(短いとか早いとか、そういうことじゃなくてですよ)くらいのことで、そんなに大いばりされてもこっちが迷惑です。


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