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椿姫彩菜とセメンヤで考える、性について
188
:
チバQ
:2011/03/06(日) 20:15:25
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110106/bdy11010610420001-n1.htm
【ボーダー その線を越える時】
(1)生の境界・NICUで救われるミラクルベビー
2011.1.2 22:18 (1/3ページ)
長男が入院していたNICUを訪れた横浜ベイスターズの村田修一。予定日より4カ月早く生まれ体重400グラム台だった乳児と家族を励ました=平成22年12月8日、神奈川県立こども医療センター(篠原那美撮影)
相模原市の小児科医、小口(おぐち)弘毅(59)のもとには毎年正月、患者だった子供たちから年賀状が届く。
大学病院内の新生児集中治療室(NICU)で20年間、小さな命と向き合ってきた小口。体重1000グラム未満の超低出生体重児に、特別な愛着を抱いている。
「この双子の兄弟は今や元気な大学生。心停止した1人に心臓マッサージしたときは、もうダメだと思ったけどなあ」
年賀状の片隅に記された双子の名前は「生(しょう)」と「命(めい)」。小口は2人のように生死の境界を乗り越えた子供たちを“ミラクルベビー”と呼ぶ。小さな命を救う境界も変わってきている。
●
横浜ベイスターズの主砲、村田修一の長男、閏哉(じゅんや)(4)もミラクルベビーの一人だ。
平成18年2月7日、閏哉は712グラムで生まれた。妊娠23週だった村田の妻、絵美が破水して総合病院に運ばれてから12日目だった。総合病院で、村田は産科医から告げられた。
「23週で生まれたら9割の子が亡くなる。生き残れた1割のうち9割は大きな障害が残る」
NICUの保育器が母親の子宮代わりとなった閏哉の様態は、生後7日目に急変した。腸に穴が開き、手術しないと命が危なかった。搬送先の神奈川県立こども医療センターで、村田は大きな選択を迫られた。閏哉は腹の中で大量に出血。輸血しても止まらず、手術に耐えられる見込みは低いといわれたからだ。
「助けられると思うからこそ、赤ちゃんに痛みを強いる治療もする。でも、赤ちゃんが弱ってくると治療は暴力ではないかと悩むこともある」。同センターの新生児医、豊島勝昭はそう述べて続けた。「救命が困難になったら、治療を差し控えて残された時間を家族で大切に過ごすという選択もあるのではないか」
村田は閏哉の生命力を信じた。輸血で全身の血液は5回ほど入れ替わった。3日目、ようやく止血が始まり、腸の手術に臨むことができた。「閏哉は生死の瀬戸際で、何度も少ない確率の方へすり抜けてくれた。支えてくれた全ての人に感謝している」。昨夏、村田は閏哉にグローブがほしいとせがまれた。「あのちっちゃな息子と、キャッチボールができるようになるなんて、ね」とはにかんだ。
豊島はいう。
「医者は神様にはなれない。よく『先生にお任せします』といわれるが、親として子供にどうしてあげたいのかという願いを聞きながら一緒に決めていきましょうとしかいえない。医学が進歩し続ける今だからこそ、死生観をそれぞれが持つことが必要だと感じる」
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