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椿姫彩菜とセメンヤで考える、性について
122
:
チバQ
:2010/09/19(日) 17:27:17
http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2010/07/14/20100714ddm010100010000c.html
境界を生きる:子どもの性同一性障害 読者の反響特集
心と体の性別が一致せず、時に大人以上の苦しみを抱えながらもさまざまなケアが置き去りにされている性同一性障害(GID)の子どもたち。医療、教育現場などの課題を取り上げた連載「境界を生きる〜子どもの性同一性障害」(6月13〜17日)に、当事者や家族を含め多くの反響をいただきました。記者が訪ねて聞いた思いを紹介しながら、改めて深刻な現実を考えます。【丹野恒一、五味香織】
◇生きていてほしかった 自殺の我が子、心追う母
「親として、あの子を救えなかったことはこれからも悔やむと思います」。福岡県に住む都さん(44)からのメールには、我が子が自ら命を絶った悲しみがつづられていた。「私が話すことで役に立てるなら」と取材に応じてくれた。
早朝、刑事からの電話があったのは09年11月だった。21歳だったあゆみさんが東京都内で練炭自殺したとの知らせに、頭が真っ白になった。
あゆみさんは地元の高校を卒業後、夢だった自衛官になった。翌08年春、休暇で帰省中、両親に告白した。自分がGIDだということ。治療を受けようと思っていること。
子どものころから男の子のように活発で、中学校の入学時は男子生徒の制服を着たがった。でも高校時代には「子どもは2人ほしいな」とも口にした。母として花嫁姿や孫を抱く日を夢見ていた。
告白から数カ月間はけんかの繰り返し。都さんは「何のために育ててきたのか」と口走ったこともある。女子寮生活が苦しかったのか、あゆみさんは次第に勤務もままならなくなった。電話で「寮の8階にいる。飛び降りてもいい?」と言われ、必死に訴えた。「帰って来なさい」。受け入れるしかないと覚悟した。
昨春、あゆみさんは依願退職した。専門医の正式な診断を待ちきれず、独自にホルモン治療を始めた。胸の手術を済ませ、9月には東京で暮らすため実家を出た。母が我が子を見る最後になった。
自殺した車中には「ママへ」と書かれた遺書があった。「こんな体で生まれたけど、ママの子で生まれたこと、誇りです」「心配せんでいいよ。やっと笑顔になれるから」。最後に二人で撮ったプリクラが張られていた。
都さんは日記やブログから最後の日々をたどった。耐え難い孤独と自分の存在そのものへの葛藤(かっとう)で埋め尽くされていた。<こんな化け物、誰が好き好んで近づくよ/抗(あらが)えない、見えない何か。そんなものにいいように操られて……悔しいよ/なんでおれが死ななきゃいけない!?>。悲鳴のような言葉が続く。
最後のページには、大きな文字で<我が人生に一片の悔い無し>とあった。「本当はもっと生きたかったんじゃないの? どんな姿でもいい、生きていてほしかった……」
あゆみさんの足跡を追い続けるうちに、都さんはインターネットで同世代の女性と知り合った。19歳の子がGIDに悩んでいるが親として受け入れられず、治療の同意書へのサインを拒否している。子どもは今年6月末、勤め先を退職したという。
かつての自分たちと重なった。都さんは女性に伝えた。「(死んでしまったら)帰ってこないんだよ」。同じ悲しみに直面する前に、子どもを支えてほしいと切に思う。
「男と女しかいないという価値観ではなく、あゆみのような人たちが少しでも生きやすい世の中になってほしい」。自宅にはあゆみさんの笑顔の写真が何枚も飾られている。
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