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テレビ・ラジオの局と番組のスレッド

452とはずがたり:2016/01/04(月) 11:44:27
>>451-452
かつてのフジテレビは新宿河田町にあった。だからすぐに劇場や映画館に行くことができた。だが、いまは横澤が行ったように会議をはやく切り上げたとしても、時間的に間に合わないことが多くなってしまっているのだ。
一方、たとえば現在好調なテレビ東京。そこで『ゴッドタン』や『ウレロ』シリーズなどを手掛ける佐久間宣行は自著『できないことはやりません』の中で、「テレビの世界とは別の分野で、自分が本当に好きなジャンルを持つ」ことが大切だと説いた上でこう付け加えている。

もうひとつ重要なのは、自分が好きなジャンルを「現役で見続ける」ということでしょう。言い換えれば「常に情報をアップデートし続ける」のです。逆説のようですが「好き」を仕事の「武器」にするためには、本気で「好き」でい続ける必要があるのです。

出典:佐久間宣行:著『できないことはやりません 〜テレ東的開き直り仕事術〜』

その言葉通り佐久間は、自分の好きなジャンルである演劇に現在も足繁く通い、その世界から次々に新進気鋭の人材を積極的に起用している。

■フジテレビの未来

そんな中でフジテレビにも、若い人材が育ってきている。
たとえば、吉田正樹が挙げるのは『人生のパイセンTV』の“マイアミ・ケータ”こと萩原啓太だ。まだ20代のディレクターである。

吉田: 『人生のパイセンTV』は作り手が必死になってやってる様子がよく分かる。

出典:新春TV放談

雑誌『クイックジャパン』で毎年恒例の特集「テレビ・オブ・ザ・イヤー」の放送作家座談会でもこの番組と萩原については話題にあがっている。

萩原は、打ち合わせはもちろん、ロケにも自ら行き、編集、ナレーション原稿、テロップに至るまで全部自分でやっているという。しかも、画面にも積極的に登場する。どこか、かつてイケイケだったフジテレビの作り手たちを思わせる。

70年代、フジテレビは「振り向けば12チャンネル」と揶揄されるほど低迷していた。
それを一気に変えたのが『THE MANZAI』を契機に始まったマンザイブームだ。フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない!」を標榜し、横澤彪を中心として『笑ってる場合ですよ!』、『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』と次々に人気番組を生み出し、視聴率3冠王に躍り出た。
一方、現在王者の日本テレビは60〜70年代前半、一度黄金時代を迎えたが、この頃はフジテレビやTBSの後塵を拝し、低迷していた。今では想像がつきにくいが、特にバラエティ部門は瀕死の状態だった。だが、90年代半ばになると、世代交代がようやく実を結び、フジテレビを抜き去り王者になったのだ。

いま、フジテレビの状況は、70年代と似ている。
あのときフジテレビはどん底から這い上がり栄華を極めた。
ならば、再びフジテレビが復活を遂げることは、決して不可能ではないのだ。
そこに不可欠なのは、若い力である。最後に萩原啓太の言葉でこの稿を締めたい。

萩原: やっぱりテレビの常識を覆す番組を作り続けたいです。「今のテレビだからこんなことやっちゃいけない」と言われると、「いやいやそうじゃないですよ。それはやり方一つでどうにでもなりますよ」と言い返したいんです。僕が小学生、中学生の頃見ていたテレビって結構ハラハラ、ドキドキ見ていたのが多かったと思うので、そういう番組をもう一度、フジテレビから作っていければいいかなと思ってます。

出典:テレビ屋の声 - 第1回 フジ『人生のパイセンTV』演出・萩原啓太氏

てれびのスキマ テレビっ子
現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)を刊行。


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