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貧困スレ

959名無しさん:2020/01/23(木) 22:16:24
あなたに戻る席はない
小規模な居酒屋チェーンの本部に正社員として雇われたが、終電近くまで働いても残業代はいっさい出ないうえ、試用期間に示された月収15万円が本採用になっても続く始末だった。

30代となり、また派遣社員に戻ったが、2008年秋のリーマンショックに見舞われる。事務職の時給の相場は大幅に下がり、新たな仕事もなかなか紹介されなくなった。「稼いでいた時代の貯金がみるみる減っていくのが怖かった」とBさんは当時の不安な心境を語る。

30代後半にはパチンコホール運営会社の事務職についたが、体調を崩し、急性気管支炎で10日間入院。退院して出社すると退職届が用意されており、「あなたに戻る席はない」と上司から退職を強要される形で職場を追われた。

今はダブルワークで月収15万円程度。メニエール病を患いめまいがひどく、「20代、30代の頃のように、あくせく働くのは難しくなった」(Bさん)ためだ。

社員でも派遣でも、面接のときには決まって結婚、出産の意向を聞かれることにも辟易とさせられた。

「女性が働いて1人で社会生活を送っていくことに、いったい何か問題があるのでしょうか」

リーマンショックによって、Bさんのような事務職以上に甚大な被害を受けたのが、製造現場の非正規労働者たちだ。

2008年秋以降、名だたるメーカーで急激な生産調整が行われ、派遣・請負労働者や期間工など、非正規の人員削減が容赦なく実施された。契約期間の途中で派遣を打ち切るような企業も続出し、「派遣切り」と大きく社会問題化された。

仕事と住まいを同時に失う
「その後もさまざまな仕事に就いたけど、あのクビの切られ方はいちばんショックだった」。現在50歳の男性Cさんは話す。当時、派遣会社から自動車部品メーカーに派遣されていたCさんは、契約期間途中での解雇を通告され、年の瀬に仕事と住まいを同時に奪われた。39歳の時だった。

従来から軽いうつ病だったが解雇後に症状が悪化。福祉施設で働き始めたが2度ほど倒れ、統合失調症と診断された。その後も、生活保護を受給しながら求職活動を続けたが、保護を抜けられる水準の仕事には就けていない。親との折り合いが悪く身元保証人を立てられないこと、そして40代という年齢も大きなハンディとなった。今は地元の福祉作業所に通っている。

「えり好みしなければ仕事なんていくらでもあるといわれるがそれは違う。派遣切りされてから10年強、自分のように今も苦しんでいる人は、少なくないはずだ」

『週刊東洋経済』1月25日号(1月20日発売)の特集は「『氷河期』を救え!」です。

著者:風間 直樹


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