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貧困スレ

933チバQ:2019/09/04(水) 17:36:04
10歳のときに両親は離婚
いま、駅前のカラオケボックスで話を聞いている。両隣から学校帰りの高校生たちが盛り上がる声が漏れてくる。テンションが高い。ここだけでなく、駅前や駅ビルには髪の毛をブリーチして化粧、短いスカートの女子高生がたくさんいた。男子も髪型を決め、制服を着崩している。東京から電車で1時間ほど、若者たちの雰囲気は東京とはまったく違った。

西田さんは子どもの頃から、この街で育っている。母親も近くに住んでいる。「子どもの頃から人生が苦しかった」という。10歳のときに両親は離婚。シングル家庭になって、母親は離婚をきっかけに福祉の仕事をはじめた。現在はケアマネジャーを統括しているという。

「離婚後、小児不安神経症になってしまったんです。母親から離れることができなくなって、仕事を休ませたりしていました。ある日、母親が怒った。ちょっと来いって大きな声で呼ばれて、アイロンを持って私の腰を焼こうとしたことがあった。泣いて家を飛びだして、お友達のお母さんの家に逃げました。母親がちょっとでも離れると、もうそれだけで不安でパニックになるっていう。母親は、本当に迷惑だったと思います」

小児不安神経症とは「子どもが親と離れ離れになることを極度におそれる」疾患で、家のなかでは母親に四六時中ついて歩き、トイレまでついて行ったという。朝、仕事にでようとすると泣いて暴れた。小学校にも行けなくなり、不登校になった。

「学校に問題はなかったけど、大人がいる場所にいたかった。大人が近くにいないと不安になる。学校に行くのもこわくて、不安になってしまう。だから保健室に行って、保健の先生に甘えてたというか。小学校5年、6年は不登校。よく覚えているのは、駐車場で母親だけ買い物に行って、不安になってしまって窓開けて『お母さん! 』って大きな声で何度も何度も呼んだ。それは記憶に残っています。結局、児童養護施設に行くことになりました」

児童養護施設には職員がたくさんいる。不安になる症状はおさまった。高校時代に自宅に戻って、学校にも普通に通学した。無事に卒業した。医療系の専門学校に進学、学費はすべて奨学金を借りた。借りたお金は元金だけで600万円を超えた。

児童養護施設以降は平穏な日常を送っていたが、再び問題が起こったのは専門学校に進学し、スナックでアルバイトをはじめてから。時給1800円で週5日働き、月10万円ほどを稼ぐようになった。

「自分で働くようになってから金銭感覚が崩れました。必要なお金は払ってたけど、お洋服を買うようになったんです。服をすごく買うようになった。貯めたりとかすることなく、全部使う。1万円前後の服をバンバン買って、お金のことはまだ苦しんでいます」

働いたお金を全部使ってしまうのは誰でもある一般的なことだが、本当に苦しんでいるようだ。専門学校を卒業していくつかの仕事を転々として、アパレルメーカーで働くようになって再び買い物に拍車がかかった。

雇用はずっと非正規で、どんな仕事をしても月15万円程の収入しか得ることができない。クレジットカードを使うようになって、奨学金の返済と洋服の買い物で少しずつ赤字家計になった。つねに借金を抱えていたが、アパレルメーカーで社員割引など購買意欲をそそられる環境になって破綻までいく。


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