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貧困スレ

927チバQ:2019/07/26(金) 18:52:03
■前向きとは言えない転職が続いた

 その後、いくつかのシンクタンクなどに勤務。希望通り、地方自治体のコンサルティング業務や、アジア各国の公民連携事業に関わった。雇用形態は正規のことも、非正規のこともあったが、この間、働きながら大学院で経営学の修士号も取得。ただ、いずれも1年から5年で辞めている。それぞれの退職の経緯を、マコトさんは次のように説明する。

 「会社にとってよかれと思って大学院に行ったのに、社内にはよく思わない人もいたみたいでした。ちょうどリーマンショックの影響で会社の業績が悪化して、上司からは『君が辞めればいいんじゃないか』みたいなことを言われて……」

 「(アジア関連の仕事を任されたとき)航空券の手配や、現地での段取りがうまくいかないことがありました。周囲から『力不足』という評価を受けてしまい、次年度の更新は私から辞退しました」

 いずれにしても、前向きなステップアップのための転職とは言えないようだった。

 この後、霞が関官庁の非常勤職員に。それまで、かろうじて500万円前後をキープしてきた年収は、ここで一気に約200万円にダウンした。

 幸い、大阪の大学で任期付き専任講師のポストを見つけることができた。しかし、ここもマコトさんが思い描いていたような職場ではなかったという。

 着任時、学校側から「授業に出ない学生などは呼び出して説得してください。中学や高校の担任と同じだと思ってください」と言われ、耳を疑った。しかし、実際に一向に授業に出てこない学生や、試験でカンニングがばれた後も呼び出しに応じない学生は少なくなかった。そうした学生を捕まえるため、彼らが選択している授業の教室や、アルバイト先まで出向いて待ち伏せするという、およそ大学教員とは思えない仕事に忙殺された。

 「原因は、大学が学生を集めるため、合格水準に達していない学生まで入学させてしまったことです」とマコトさん。同僚との人間関係がうまくいかなかったことや、うつ病と診断されたこともあり、勤続3年目で、東京の実家へと戻った。1年前のことだ。

 あれ?  最初、母の手術のために仕事を辞めて東京に戻ったと言っていなかったか――。私がそう尋ねると、「タイミングがたまたま重なったんです」。


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