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貧困スレ
8
:
チバQ
:2009/10/21(水) 22:11:36
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000910110001
今さら出て行けなんて、悔しいよ……
2009年10月11日
撤去を迫られている屋台。24年の間に改装を重ねた=大阪市西成区
大阪市西成区のあいりん地区の一角で屋台を出している女性店主(64)から電話があった。「市に店を閉めろと言われている。助けて」。安い沖縄料理を並べ、日雇い労働者の街で24年間生きてきた。だが大阪市は、市道の不法占拠を理由に強制撤去も辞さないという。「今さら出ていけなんて。悔しいよ」。
女性は今年2月、数年ごとに更新していた食品衛生法の営業許可証を取りに行くと、大阪市の担当者から「撤去するつもりなので出しません」と告げられた。2カ月後、平松邦夫市長が撤去の方針を正式に表明した。
市によると、屋台の市道使用は道路法にてらして基本的に認めていないという。不法とされた屋台は6月時点で47軒。だが市はこれまで、あいりん地区での屋台の営業を事実上黙認してきた。市に方針を変えさせた決定打は昨年11月の火災。屋台から出火し、隣接する小学校の窓が割れる被害が出た。それまでも店主の飼い犬が児童にかみつく被害が出たり、通学路上の放置ごみに住民から苦情が相次いだりしていたといい、もはや黙認を続けるわけにはいかなくなったという。
女性の店も小学校の塀沿いにある。6畳ほどの店はカウンター席のみ。品書きには古酒やゴーヤーの天ぷらなど沖縄料理が並ぶ。故郷は沖縄本島北部の本部町。両親は開墾した山肌にパインを植えていたが、12人の子どもを育てるには貧しすぎた。女性が19歳の時、一家で大阪に移り住んだ。
24年前、女性が西成区で営んでいたスナックの客の1人が、屋台を引退したいから引き継いでくれと頼んできた。ところが開店直後に店が焼けた。客の労働者がおにぎりを持って励ましに次々と来た。女性はこの時、ここで生きると決めた。店の前をふらふら通る日雇い労働者に無料でおにぎりや弁当を持たせるようになったのも、この経験があるからだ。
バブル景気が本格化すると建設業界は好況に沸き、店は労働者であふれ、足元のバケツに紙幣を押し込む日が続いた。だが、その金は今はない。女性はこのころから盆と正月の年2回、上下そろいの作業着を30万円分ずつ買って客に配ってきた。現場に行く交通費、簡易ホテル代、生活費、里帰りの支度金も求められるままに貸してきた。
「裏切られたこともありすぎるほどあった。でもね、ほっとかれんのよ。ここでもうけたお金を自分1人の懐に入れるわけにはいかんやん」
敗戦の年に生まれた女性の脳裏には、貧しかった頃の沖縄の風景がある。小学校の通学路を米軍の戦車がまかり通っていた時代。返ってくることをあてにせず、世過ぎの金を融通することが当たり前の土地で育った。
大阪市が営業許可証を取るよう勧めてきたのは開店後ほどないころという。言うとおりに更新を続けてきた女性は「営業は市の公認だった。今さら不法だと言うのはおかしい」と訴える。だが大阪市は「営業許可証は食品衛生法に基づくもの。道路の不法占拠に変わりはない」と取り合わない。
大阪市が自主撤去の期限と決めた9月末を前に、屋台仲間10人と市長あてに嘆願書を出した。「次に進む道を模索」するため「来年度の3月30日まで猶予をお願い致します」と書いた。当初は徹底抗戦を決めていた女性だが、次々と去る仲間の姿に、あきらめが心を占めつつある。
女性は最近、980円のTシャツを100枚買い込んで客に配り始めた。「最後のご奉公ですよ」。カウンター席の常連客の男性(58)が問わず語りにつぶやいた。「道路の占拠はいいとは言えん。でもな、おれらはその店で飯を食って生きている。どけどけと片づけられる放置自転車じゃない。人間なんだよ」
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