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貧困スレ

77チバQ:2010/01/06(水) 22:04:05
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 昨冬、民間人の手によって日比谷公園にできた派遣村で、国の無策が露呈した。その二の舞いにならないためできた公設派遣村。

 3食の弁当とお茶が配られる。元日にはおせち風の弁当もでた。一部は個室。風呂場もある。洗濯したい人にはランドリー代500円が配られる。みんなが感謝の言葉を口にした。同時にここを出たらどうするのかという不安を持っていた。

 3日夕方。翌朝には派遣村を出なくてはいけない。利用者たちが不安やいら立ちを口にし始めた。

 喫煙所にいた昨冬の派遣村村長で内閣府参与の湯浅誠さんに詰め寄る男性(62)がいた。「もっとちゃんとしてよ! 頑張ってくれてるのは分かるけどさ。ここに来ればアパートを借りるための支援を受けることができると期待してきたのに、福祉事務所の電話番号を教えられただけでがっかりだよ」

 この男性も北海道出身。3年前に勤めていた土木会社が倒産し、東京に出稼ぎに来た。アルバイトを掛け持ちしたが、昨年末に雇い止めに。アパート代を滞納し、12月26日に住居を失った。

 体は丈夫で体力にも自信がある。生活保護を受けるつもりはなく、働いて自立したいという。「家がないと求職活動もできないから、借りる資金を貸してほしい。『コンクリートから人へ』なんてパフォーマンスはもういい。とにかく自立に役立つことをしてほしい」と訴えた。

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 19歳の少年もいた。ダウンジャケットにジーパン姿。2日に大阪から夜行バスで上京した。新宿で、ホームレスに派遣村のことを教えられた。自営業の両親は事業不振に苦しんでおり、建設現場などで働きながら通った定時制高校を昨春卒業。仕事はなく「東京なら仕事があるかも」と考えた。「全日制でも就職率が下がっているんだから定時制はほとんど仕事がない。学歴や経験不足を理由に相手にしてもらえない。もっと僕自身のやる気を見てほしい」

 少年は、都が開設する相談窓口で「自分はどんな仕事がしたいのか分からない。混乱している」と相談した。「どんな仕事でもする」と言うが、夢を尋ねると「住み込みの寮がある工場で働きたい。人のために何かを作り役に立ちたい」と照れ笑いした。

 所持金は200円。都の支援がなくなれば行く当てはない。取材を終え立ち去ると、しばらくして少年が追いかけてきた。「報道の人には、僕らここにいる人間はどう見えるのか? 駄目な人間だと思うか」と聞かれた。

 「そうは思わない」と答えた。ここでは胸がつぶれるような悲しい話をたくさん聞いた。必死に求職活動をしたにもかかわらず路上に出た人もいた。少年はそれでも、「僕は自己責任だと思う。家にお金がなかったり運が悪かったとは思うけれど、社会のせいにしたら心がすさんで自分を保てない」と言った。

 派遣村にいた多くはごく普通のまじめそうな人たちだった。けれど、路頭に迷っている。来年は誰がここにいても不思議ではない。


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