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貧困スレ

76チバQ:2010/01/06(水) 22:03:42
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100105dde012040004000c.html
特集ワイド:公設派遣村・それぞれの物語 働き自立したい! 僕ら、どう見える?
 2010年元旦は凍えるような寒さだった。国と東京都が国立オリンピック記念青少年総合センター(渋谷区)に設置した公設派遣村を訪ねた。どんな理由でここにたどりついたのか。それぞれの話に耳を傾けた。【國枝すみれ、山寺香】

 オープン初日の28日には292人だった利用者は最終日の4日には833人にふくらんだ。用意された500人収容の宿泊施設では足りず、隣接する2棟も開放された。

 中庭にある喫煙所に入居者が集まる。20代、30代も多い。「こんなところに来る予定じゃなかった。正月は故郷に帰ろうと思っていた」

 北海道釧路市出身。27歳。とびだった。一昨年秋以降、仕事が激減。週3日しか仕事がない日々が続いた。日給も1万5000円から9000円以下に落ちた。仕方なく半年前から新宿の歌舞伎町でホストになった。客引きしていくらの夜の世界。金がある女性を1日1人は見つけることがノルマだった。すぐに向いていないと分かった。12月中旬、ホストを辞め、仲間の家や客の家を転々とした。とび職に戻ろうとハローワークに通ったが、求人は見つからなかった。

 実家に妻と1歳の娘を残す。月7万〜8万円の仕送りも、今はできない。家族には派遣村にいることを知らせていない。元旦にも電話がかかってきた。帰ってきてほしがっていた。「帰っても仕事はない。また出稼ぎに来ることになる。家族を呼び寄せても路頭に迷わせるだけだ」

 風邪気味というので、市販の解熱剤をあげると、うれしそうにした。「仕事と家さえあればなんとかなるのに」とつぶやく男性。掛ける言葉は見つからなかった。

    ■

 元日に鳩山由紀夫首相、菅直人副総理ら政権幹部が次々と派遣村を訪れた。

 「アピールだけですね。鳩山首相がお母さんからもらったお小遣いの1割でもいいから僕らに分けてほしい」

 そう言う男性は34歳。北海道出身。横浜で派遣社員として働いていたが6月に失業。建設現場を転々とし、12月20日に仕事も寮もなくなった。「自分がホームレスと思うのがいやで、夜は新宿や池袋の雑踏を歩き続けた。人込みに紛れるとほっとした。金がなくて、食べ物にあふれた町を空腹で歩くのはつらかった」。段ボールで寝るようになったらと恐ろしくなり、派遣村行きのバスに飛び乗った。

 「天は自ら助くる者を助く」という。米国のスラムは福祉に頼り続けるなど、はい上がろうとしない人も多かった。ここにもそういう人はいるだろう。だが、「来るのに抵抗があった。情けない」「弁当をもらうのが申し訳ない」という声も聞いた。

 女性も16、17人いた。1泊2900円の上野の温浴施設から29日に来た女性(65)。こつこつと働き、年金をもらおうと役所に行くと「払込期間が2年足りず、追加で足りない金額を支払うことも不可能だ」と言われた。

 3カ月前、「ちょっと買い物してくるね」と言って、家を出てきた。息子たちの世話になりたくなかった。「まだ5年は働ける。食べさせてもらって小さくなって暮らすのはいや。生活保護を受けるなら死んだ方がまし」

 千葉県出身の男性調理師(42)は、会社がつぶれ、寮を追い出されて、夫婦で派遣村に来た。「昨年はこんなところで年を越すなんて思いも寄らなかった。ファストフードで出される料理はパート主婦や賃金の安い若者の手で工場で作られる」。調理師の求人はほとんどない。


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