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貧困スレ

57チバQ:2009/12/20(日) 10:37:14
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000000912200003
ホームレスの現場から(下)
2009年12月20日


緑地を掃除するホームレス生活の人たち。報酬を支払い、自立につなげたいと支援の会が始めた清掃活動を始めた=熊本市九品寺1丁目

  熊本市の熊本ホームレス自立支援の会事務所に10月中旬、ホームレス生活の人々が仕事探しなどのため一時的に宿泊するシェルターが、県と熊本市により開設された。もともとあったシェルターと合わせ、17人程度が滞在できることになった。


  利用者数人の夕食に加わった。「県外から歩いて熊本へ来た」「各地を転々とした」。さらりという。ある男性は「みんな、どこかで歯車が狂った」とも語った。


  カワサキさんが「こんな人がいた」と語り出した。


  親しかったあるホームレスの男性が脳梗塞(こう・そく)で倒れた。家族に連絡を取れば手術を受けられ、助かる見込みもあったらしいが、男性は拒んで亡くなった。「それほど、家族に知られたくないということ。みんな、家族には触れられたくないんだ」


  60代のカワサキさんは5年ぐらいホームレス生活をしていた。ある日、胸が痛み出し、「痛み止めの薬でももらえれば」と事務所を訪れた。支援の会のスタッフと病院で受診したら、診断は心筋梗塞。そのまま入院し、手術となった。


  「人の世話になりたくない」とホームレス生活を続け、シェルターなんて考えたこともなかったが、「人に支えられていないなんてことはない」と実感した。いまはシェルターに滞在し、年金の取得をめざしている。


  シェルターの利用は原則3カ月以内。入所は無料で、入浴や食事などの提供を受ける。記者も2段ベッドの空いたところに一晩、泊めてもらい、この部屋で生活するコヤマさんから話を聞いた。


  家族とのトラブルなどで家を出た。仕事も失い、公園のベンチで寝起きした。ほとんど食べ物を口にせずに日々が過ぎ、「25キロ体重が減った」と笑って当時を振り返る。体力が落ち、頭がぼんやりしていた時、地域の自治会長に声をかけられ、あんパンと牛乳をもらったという。


  自治会長の勧めで支援の会を知り、シェルターに入った。携帯電話を支援の会から借りて仕事を探し、ビル清掃の仕事も見つかった。家族とはときどき会うが、公園で生活したことやシェルターに入っていることは話していないという。


  来年、小学校に上がる娘にランドセルを贈るのが目標だ。「デパートに連れて行き、好きなものを選ばせたい。そのためにお金をためたい」


  支援の会は、ホームレス生活の人たちに短期間、農作業などをしてもらう就労体験を仲介している。公園などを掃除した人に報酬を支払う取り組みも始めた。働く感覚に慣れてもらい、自立を促したいとの考えからだ。


  支援の会の吉松裕蔵さん(60)は、多くのホームレス生活の人たちの相談に乗ってきた。「自殺を思いとどまったという人や何度も迷った末、ようやく相談に来る人もいる。自立イコール就労と単純に考えがちだが、『自分は社会に必要とされていない』と落ち込んでいる人が多く、心のケアも大事だ。社会とホームレスの方々をつなぐ役割を果たしたい」と語る。(この連載は岡田将平が担当しました。文中カタカナは仮名)


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