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貧困スレ
516
:
名無しさん
:2015/10/25(日) 18:38:12
>>515
● 問題はあっても裕福な生活から 中学の制服も買えない状況に
エツコさんは、溶接工の父親と病弱な専業主婦の母親の長子として、1975年、関東北部の中都市で生まれた。
「ベビーブームの最後の年に生まれて、就職氷河期に当たっちゃって。人生、いつもストレートじゃなかった」
2年後に妹、4年後に弟が生まれた。腕がよく、船の先端など困難な溶接をこなせた父親は、一軒家や外国車が買える収入を得ていたが、
「酒飲みで、生活考えずに競馬に給料全部賭けちゃったりすることもあって」
父親の当時の勤務先の社長は状況を熟知しており、父親には小遣い分だけを渡し、給料のほとんどは母親に渡していた。母親も、エツコさんが小学2年のころから、近所の工場でパート労働を続けていた。
「暮らしぶりは、むしろ裕福で、憧れられるようなライフスタイルだったと思うよ。一軒家に外車、庭に白いバラを植えて」
しかしエツコさんが中学校に入るころ、給料をすべて自分で使いたくなった父親が転職し、家庭に生活費をもたらさなくなった。エツコさんは、「給食費が払えない」「学校の修学旅行積立が払えない」「体操服が小さくなってるのに買い換えられない」といった問題に、妹・弟の分も合わせて悩むことになった。
「私が中学に入るときは、制服を買うお金を捻り出すのが大変だった。学区の再編成があって、新しい制服になったばかりで、お下がりやリサイクルという方法がなかったし」
あんなにお金のあった家が? という近所の視線に耐えかねた母親は、パート労働を続け、就学援助も児童手当も利用し、さらに自分名義で借金を重ね、生活レベルを維持しつづけた。
中学に入ったエツコさんは、柔道部に入った。中学1年で県大会に出場できるほどの実績を挙げ、周囲に将来を有望視されていたという。しかし顧問教師が問題を起こして退職し、柔道部は廃部に。ついで「とりあえずの現実逃避の術」として演劇部に入ったエツコさんは、またもや頭角を現し、文化祭で主役を演じた。しかし、悩みでいっぱいの中学時代だった。
「貧困にも悩んだけど、自分の人生に悩んだ。『中卒で働きたい』と先生に言ったら、『頭いいんだから、とりあえず高校は出といたほうがいい』と反対されて。でも、先生がお金出してくれるわけじゃないからね」
エツコさんだって、高校に行きたかった。
「勉強は好きだったよ。読書が好きで、図書館が居場所だった。読んでた本は、人付き合いの本とか、人の騙し方とか、自己啓発とか、法律とか、福祉とか。可愛げのない中学生だよね」
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