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貧困スレ

35チバQ:2009/11/22(日) 22:20:22
http://president.jp.reuters.com/article/2009/09/25/663CC618-819F-11DE-B1A3-95C73E99CD51.php
沸騰!匿名座談会
2009年 9月 25日【2】下流セールスの悲鳴〔外資系金融〕
思いつめて不正行為、過剰接待の否定でリストラ対象
プレジデント 2009年3.30号
「外資は日本より泥臭い。ゴロツキの集まり」と、彼は振り返る。

ジャーナリスト 中島みなみ=文 早川智哉=撮影
外資系金融ジョン・スミスの場合

昨年5月、外資系金融に米サブプライムローン破綻の波が襲った。デリバティブやワラント債を得意とするジョン・スミス(仮名・40歳)が勤める投資会社でも業務中に緊急招集がかかった。アメリカ人の支店長はこう告げた。

「本国では会社の存続も危うく、東京支店は事業を縮小しなければならない」

スミスらの通い慣れたオフィスは、東京都港区の高層ビルにあった。衝撃冷めやらぬスタッフ数十人がロビーに集まっていると、「ここに集まるな。ビルの外に出ろ」と、マネジャーがスミスたちを追い立てるのだった。通常勤務から解雇までに1時間もかからなかった。

本社はともかく、東京支店は日本で巨額の利益を挙げていた。彼は会社の役職以外に法務と財務あわせて5つの資格と肩書を持ち、金融情報サービスのニュースにも会社の顔としてたびたび登場し、営業の一翼を担った。しかし、それが会社に評価されていたわけではなかった。

「外資は日本より泥臭い。ゴロツキの集まり」と、彼は振り返る。

外資の営業とはどのようなものか。商談が踊るのは夜だった。銀座が日本企業の社交場であるとするなら、外資系金融の社交場は六本木にあった。名門レストランでの食事、ポールダンスのあるクラブ接待で、毎日100万円以上の接待費が計上された。最後は風俗込みの接待で、それが何回できるかということがビジネスを成功させる“指標”だった。

社外人脈もそんな中で培われていた。例えば、彼より遅れて入社した一人の前職は、英会話の先生だった。もう一人は米軍のヘリコプター操縦士だった。肩書は証券アナリストだが日本企業のことなど知らない。数字も読めない。日本語すらできないから通訳が必要だった。

日本企業であれば、人事は人事部に委ねられているが、大半の外資系企業は、少数の幹部が人事と予算の両方を掌握する。経営規模や日本法人があるかどうかを問わず、外資系金融の経営判断が速く、機動力があると評される理由はそこにある。しかし、裏を返せば本国から遠く金融監督の届かぬ極東の地で、幹部は思いのまま振る舞うことができるということだ。そうした人材が登用されたのは、お気に入りのバーが同じで「夜の営業でいろいろと役に立つ」からだった。

多くの日本企業がリスクの高い金融派生商品を抱え込んだ背景に、そんな外資系金融のなりふりかまわぬ営業があった。

また“派手な営業”は見返りも大きかった。別の外資系企業から転職したマネジャーは、2年契約で200万ドル。加えて子供のインターナショナルスクールの学費300万円、家賃200万円の住居、メードの人件費が会社持ちだ。

こうした不健全な企業活動は自粛すべきだとスミスは思っていた。大規模なリストラの対象者は、こうしたいわゆる協力的でないスタッフを中心に選ばれた。

「結局、まるで明治時代の不平等条約を結んだようなつもりでいるから、日本の法律を無視して平気なのです」

解雇は不当だと主張するスミスらを前に、ジーパンとノーネクタイで現れた支店長はこう言ったという。

「私は日本語もできないし、日本の法律など知らない」


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