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貧困スレ

298チバQ:2012/09/07(金) 23:23:25
http://mainichi.jp/feature/news/20120104mog00m100021000c.html
リアル30’s:働いてる?(4)入社2カ月解雇通告
2012年01月04日


30代が多く参加した反貧困イベント。「いつか私もそうなるかも」−−同世代の苦境はひとごとではない=東京都港区で2011年12月9日午後8時20分、三浦博之撮影
拡大写真 昨年の秋も深まったころ、突然、上司に呼ばれた。「余裕があるみたいだね。今年は大きな仕事をしてないよ」−−穏やかな口調が不気味だった。小さな出版社に入社して2年目の30歳のマコトさん(仮名)。繁忙期に定時で帰ったのが気に障ったようだ。「またクビになるかも」と不安がよぎる。 

 早稲田大在学中に演劇にのめり込み、就職活動をしなかった。04年に卒業後は飲食店のアルバイトで食いつなぎ、しばらくしてコールセンターの仕事を始めた。時給制のアルバイトで手取り月16万〜17万円。その後、契約社員になったものの、不安定な仕事から逃れようと初めて就職活動に臨んだ。

 就職あっせん会社に登録した。だが、50社申し込んで面接にたどり着けるのは半分。「演劇に打ち込んだので就職活動をしませんでした」と話すと、面接官は冷ややかにほほ笑んだ。好きなことやって就職の機会を捨て、調子のいいこと言ってるねえ−−そんな声が聞こえた気がした。

 結局、正社員をあきらめ、06年に派遣会社に登録。ところが、派遣切りが始まった。09年夏に派遣先の契約が前倒しで打ち切られ、派遣会社の支店待機に。会議室に派遣30人が集められ、パソコンに向かって自習を命じられた。外出も居眠りもだめ。このまま会社に残っても給与は出ないと言われ、退職した。身勝手なのは自分か会社か、分からなくなった。

 両親はバブルのころ、関東近郊に家を買って多額のローンを抱えた。都心から遠くて住みにくく、借り手も見つからず、結局手放した。年金から今もローンを返済する。親子でマンションに暮らすが、余裕のない両親に代わってマコトさんが家賃を払う。「何で俺がバブルのツケを払うのか」

 今の出版社では正社員。最近は進んで残業もする。休日出勤も多い。「いつクビになるか不安。また惨めな就職活動はしたくない」−−向かいの席に座る上司の一挙手一投足が気になる。

◇  ◇ フリーターやネットカフェ難民に比べたら「自分はまだまし」と思っていた。

 01年3月、34歳のケンジさん(仮名)は学習院大を卒業した。就職先は従業員約500人の自動車部品メーカー。経理部で働いた。

 08年、リーマン・ショック直後に年齢を問わないリストラが始まった。数年前、元請け会社の業績悪化のあおりを受け、中高年は一掃されたあと。31歳だったケンジさんにも希望退職の声がかかった。

 会社に残りたいと言ったら、工場に異動させられた。塗装ラインでひたすらバンパーを上げ下ろしする肉体作業。強硬な説得に負けて、結局退職した。8年勤めた退職金は100万円。東京・日比谷公園に派遣村ができてしばらくたった頃。若手の正社員ですら簡単に職を失う時代が来たと思った。

 再就職を目指し、失業給付を受けながら簿記2級の資格を取った。「当時はまだ大丈夫と思ってた。大学を出て、正社員を8年して、簿記を持ってて、何とかなると」−−現実は甘くなかった。

 転職サイトに「製造業・正社員・事務職」で登録したが、応募しても書類ではねられる。100社に応募し面接に進めたのは10社。転職サイト担当者は「年齢の割に薄い職務経歴、1年のブランク、職務経歴のアンマッチ」を理由に挙げた。

 ようやく内定をもらった都内の食品会社。年収は約400万円。一生懸命働こうと思った。しかし、入社1カ月後に採用担当者に呼び出された。「こんな好待遇なのにさ、あなたそれに見合う能力がないよ。会社が求める10分の1も働いてないじゃないか」

 2カ月目、別室で「解雇します」と通告された。離職票には「能力不足」の文字。何が足りなかったのか、今も分からない。現在は関東地方で団体職員として働いている。


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