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貧困スレ

260チバQ:2012/06/11(月) 22:04:31
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042812000013-n1.htm
【自殺考 被災地から(2)】
折れる心 自殺を決める「使命の有無」
2012.4.28 12:00 (1/3ページ)[自殺問題]

東日本大震災から1年を迎えた今年3月11日、思い思いのメッセージが書かれたキャンドルライトが灯された=岩手県釜石市(頼光和弘撮影)

家計簿に記されていた“絶望”


 震災から5カ月あまりたった8月20日。海に身を沈めた女性は、日記代わりにしていた家計簿に、こんな言葉を書き付けていた。

 「子供の能力しかなくなった。本当に長い間お世話になりました。ごめんなさい。片付けもできなくなり 子供になりました」

 妻の行方が分からなくなって心配した夫が、妻の枕元に置かれていた家計簿で、この走り書きを見つけた。その文字は震えるようなつたない筆跡で、家計簿の上下を逆さにして書かれていた。

 自宅にいた義父を津波で亡くし、親友やいとこも失いながら、避難所でも仮設住宅に移ってからも、忙しく動き回っていた女性。とくにお盆は自宅に訪ねてくる親類のための応対に追われ、多忙を極めた。

 その反動か、お盆が過ぎると、夕食を作る気力もなくなっていたという。そんな妻に夫は「適当に食べるから気にするな」と声をかけていた。

 「彼女はまじめで責任感があり、家事などを忠実にこなしてきたタイプでしょう」。精神科医の片田珠美さんはこう分析する。

 「お世話をしていた義父を失い、助けられなかったことに罪悪感を感じていたのでしょう。また主婦として、料理や掃除の役目をきちんと果たせなくなったことで、『自分は存在価値がない』と思うようになってしまったのではないでしょうか」


「眠れない…」それは前兆だった


 避難所で「眠れない」などと体調の不良を訴えた女性に対し、看護師や医師は、女性を別のスペースで生活させるなどの措置をとり、女性は一時的に回復した。仮設住宅に移ってからも、避難所にいるときからみてもらっていた看護師が定期的に訪問していた。亡くなる2日前にも、看護師が面談に訪れ、様子を確認していた。

 しかし、夫には今も心に引っかかる出来事がある。仮設住宅に移ってから妻の状態が再び悪化した際、精神的な治療を受けようと、避難所で受診した医師のもとへ妻を連れて行った。ところが−。

 「『熱があるからうちでは診られない』と言われたんです。ほかの病院に連れて行っても同じこと言われて、仕方ないから内科で熱冷ましもらって帰った。もっとちゃんと心のケアが受けられていたらなあ。『ストレス病』なんて、おれは知らないもの」


混乱収まるにつれ増す危険


 大津波を生き延びた被災者に襲いかかるさまざまなストレス。とくに大事な人を失った被災者の心の負担は計り知れない。

 「ただ、意外に思われるかもしれませんが、震災から1年、少なくとも岩手県では、自殺は前年に比べて減少しています」

 そう話すのは、岩手県障がい保健福祉課で自殺総合対策にあたる小川修特命課長。県が公表した昨年3月から今年1月までの自殺者数は、大船渡、釜石、宮古、岩泉、久慈の沿岸5署管内で83人。前年同期と比べると15人少なかったという。内閣府の統計では、福島、宮城両県でも、自殺者は前年を下回っている。

 片田さんによると、大規模災害の発生直後は、命が助かったことへの感謝や生きることへの使命感から、自殺は減少する傾向にあるのだそうだ。

 「ですが、災害発生後の混乱が落ち着いてくると、気分の落ち込みから鬱状態になる人も増えてくる。がれきの処理も進まず、目に見える形で復興が進まない状況では今後、傾向が悪化する恐れがある」と片田さんは警告する。

 震災から1年が過ぎた被災地。長引く仮設住宅での暮らしは、新たに孤独死やアルコール依存の問題を増加させるおそれがある。これらを「消極的な自殺」と表現する精神科医もいる。長期的な継続性が必要といわれる心のサポートは、まだ始まったばかりだ。

(佐々木詩)


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