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貧困スレ
1204
:
OS5
:2025/07/14(月) 11:53:43
https://news.yahoo.co.jp/articles/32265c7fdf0cd49c7d105e448d42928406734d73
月末にスマホ質入れ、電車代払えず4時間徒歩…失われた30年の就職氷河期世代、56歳の嘆き「生活楽にして」
7/14(月) 11:04配信
毎日新聞
東京都庁前で食料配布の準備をするNPO法人などのスタッフやボランティアたち=東京都新宿区で2025年6月14日、新宮巳美撮影
5月中旬の土曜日。横殴りの雨が降る中、東京都新宿区の都庁前に約700人の行列ができていた。この日行われたのはNPO法人などによる無料の食料配布で、列の後方には都内に住む鈴木孝さん(56)=仮名=の姿があった。
数百円の電車代が払えず、1人暮らしの自宅からビニール傘を差し4時間かけて歩いてきた。そのため、到着が配布の直前になったという。
鈴木さんは1990年代前半から2000年代前半に社会に出た「就職氷河期世代」。その数は1700万〜2000万人に上ると言われ、いまだ不安定な生活を強いられている人は多い。
現役時代が丸ごと「失われた30年」と重なり、会社の倒産や派遣切りなどを経験してきた鈴木さんは語る。「とにかく目の前の生活を楽にしてほしい」。参院選(20日投開票)で各党とも支援策を訴えるが、解決の道はあるのか。【田中理知】
【写真と図解でみる】「失われた30年」と就職氷河期世代
月13万円で生活 やり繰りできない月はスマホを質屋に
NPO法人などが配布する食料=東京都新宿区で2025年6月14日、新宮巳美撮影
リュックを背負い、トートバッグを肩に掛けた鈴木さんはスタッフからレトルトのご飯や野菜、水などが入ったビニール袋を受け取ると、再び列の最後尾に並んだ。だが、到着の遅れが響いて2袋目を受け取ることはできなかった。
それでも、日焼けした顔に笑みがこぼれる。「最近はコメが高くてとても買えない。ありがたい」
2年ほど前、持病のヘルニアが悪化し、手に力が入らなくなって派遣の仕事を辞めた。今は月約13万円の生活保護を受給するが、家賃や光熱費などを差し引くと、手元にはわずかな金額しか残らない。
「業務用スーパーで買った27円の袋麺三つや、88円の食パン1斤で3食をしのぐことはざらです。都内各地で開かれる食料配布にも頻繁に出向いています」
どうしてもやり繰りできない月は、スマートフォンを質屋に持っていき、一時的に7000〜8000円を受け取っている。
就職活動中にバブル崩壊 新卒で入った会社は突然倒産
大学生が殺到した合同企業説明会=大阪市中央区で2001年2月14日、佐藤賢二郎撮影
人口が多い「団塊ジュニア世代」(71〜74年生まれ)より少し上の68年生まれ。経済的に余裕のある両親(いずれも他界)との3人家族で育ち、子どものころは生活に不自由した記憶がない。
高校は大学の付属校だった。エスカレーター式で進学し、大学をストレートで卒業していれば、売り手市場の「バブル入社組」になるはずだった。ところが、大学の倍率が予想以上に高く、2浪の末、89年に別の私立大学に入学した。
入学当初はバブル真っ盛りで、大学構内には採用募集の張り紙が所狭しと並んでいた。「人手不足だったのか、初任給30万円の企業も結構あった。働き口はいくらでもあると思っていました」
しかし、就職活動を始めたころにバブルが崩壊し、その後10年ほど続く氷河期の入り口に立たされることになった。
文部科学省の学校基本調査によると、4年制大学を卒業した人の就職率はバブルが崩壊した91年(81・3%)から急降下し、00〜05年は50%台に落ち込んだ。
鈴木さんは18社受けて3社から内定をもらったが、いずれも業績悪化を理由に取り消しとなった。慌てて就職活動を再開し、何とか静岡県にある家具輸入商社に正社員として入ったが、その会社も入社3年目に突然倒産した。「多角経営の末、社長が夜逃げしたことは後から知りました」
2社目はリーマン・ショックで閉鎖 数年ごとに変わる職場
リーマン・ブラザーズの経営破綻を受けてNYダウが下落したことを示すボード=東京都中央区で2008年9月16日、内藤絵美撮影
それほど間を置かず、知人の紹介で都内の自動車部品工場に正社員として再就職した。このときは自家用車を持ち、自宅で好きな料理を楽しむなど充実した暮らしぶりだった。
だが、ようやく手に入れた安定した生活も10年ほどで終わりを告げた。リーマン・ショック(08年)の余波を受けて09年に工場が閉鎖され、再び正社員の職を追われた。
その後は派遣会社に登録し、金属加工や衣料品の原料加工などの仕事に就いたが、繁忙期が過ぎたら「派遣切り」に遭うなど、数年ごとに職場が変わった。
持病の悪化で仕事ができなくなるまで、そんな状態が10年余り続いた。「まさか、自分がこんなことになるなんて……。世代が違っていれば、『普通の生活』ができたかもしれないのに、ひどいもんです」
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