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貧困スレ

1103チバQ:2021/05/06(木) 15:29:09
 ヒカルさんは児童相談所内にある施設と児童養護施設で育った。両親と暮らした記憶はない。施設に預けられることになった理由や経緯も知らないという。

 おぼろげに覚えているのは幼少時、自傷行為を繰り返しては病院に運ばれたこと。病院から児童相談所に戻ると、外鍵の付いた部屋に「閉じ込められた」。日々の記憶がはっきりと残っているのは、児童養護施設に移った小学校高学年からだという。

 周囲との摩擦を嫌う温厚なヒカルさんが児童養護施設時代、最も忌み嫌ったのは、誕生日に職員たちから「おめでとう」と言われることだった。自分など生まれてこないほうがよかったと思っていたからなのか、それとも施設を退去させられる18歳が近づいてくることのどこがおめでたいのかという反発心があったからなのか、理由は自分でもよくわからない。ただ、「おめでとう」と言われるたびに、抑えがたい負の感情がわいてきたという。
 「両親のことは戸籍謄本を取り寄せればわかると、聞いています。でも、両親のことを考えるだけで疲れ果ててしまうんです」とヒカルさんは話す。

■上智や立教に行きたかった

 学校の成績は優秀だった。塾など通ったことはなかったが、高校時代の数学は全国模試で全国トップ10に入る水準。ただ家庭環境にもよるが、家族や親族がいなかったり、音信不通だったりする場合、児童養護施設出身者が大学や専門学校に進むことはほぼ不可能である。奨学金を借りるのに必要な連帯保証人がいないからだ。ヒカルさんも大学進学は諦めた。

 「本当は上智や立教に行きたかった。記念にセンター試験だけは受けたんです。自己採点したら、希望する大学にはだいたい行ける点数でした」

 家族など頼れる人のいない児童養護施設出身者にとっての苦難は施設を出た後に始まる。まず賃貸アパートを借りることができない。連帯保証人や緊急連絡先を用意できないからだ。また身元保証人がいないので、就職活動もほかの学生らと比べて極めて不利だ。

 このため、中には施設退所後すぐに生活保護を利用する人もいる。また特に女性の場合、住み込みの風俗店で働き始めるケースも珍しくない。いずれにしても、児童養護施設の出身者たちは社会人生活スタートの時点から、一般的な家庭で育った人たちとは比べ物にならない苛烈なサバイバルを強いられるのだ。
 ヒカルさんの場合はどうだったのだろうか。ヒカルさんは高校時代からコンビニなどでアルバイトをして100万円ほど貯金をためた。しかし、賃貸アパートを借りるにあって、やはり壁にぶつかった。「携帯を2台用意しました」。元からささやくような話し方だったヒカルさんがさらに声を潜めて教えてくれた。

 要は、緊急連絡先に架空の名前と連絡先を記載し、自分がその人物になりすましたのだという。違法行為である。しかし、そうでもしないとアパートを借りられないのだ。私は、児童養護施設出身者へのアフターケアの絶望的なまでの乏しさについて考えさせられた。


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