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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)
7080
:
チバQ
:2012/12/02(日) 00:53:37
>>6849
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121201-00000215-mailo-l45
政党混迷:2012衆院選みやざき/下 「中山VS上杉」今も 自民分裂、遺恨深く /宮崎
毎日新聞 12月1日(土)16時7分配信
「ここは大激戦区。民主や社民が(票の)取り合いをすれば、本当の選挙相手は(日本維新の会の)中山(成彬)さんになる」
1区から出馬予定の自民新人、武井俊輔氏(37)の選挙事務所開きが宮崎市であった11月29日朝、陣営の選対幹部は6人が名乗りを上げる選挙区の状況をこう分析した。
自民は09年の前回衆院選で、不出馬宣言を翻した中山成彬氏(69)と県連が推す上杉光弘氏(70)が1区から立候補を表明。ともに閣僚経験のあるベテラン2人だが、党本部は双方の公認を見送り、分裂選挙に突入した。いずれも無所属で立候補した結果は、共倒れ。保守王国・宮崎で、96年の小選挙区制導入以降、初めて非自民候補に議席を明け渡した。県連は「党紀違反行為があった」として、中山氏を除名扱いにした。その後、中山氏は10年の参院選比例代表に「たちあがれ日本」から出馬し落選。正式に自民党から除名された。
「中山VS上杉」の構図は今も見え隠れする。上杉氏は、今回衆院選候補を選ぶ公募に武井氏らと応募したが、県連の説得を受け入れ取り下げた。その代わり比例に回り、党の比例代表名簿に入った先月中旬、組織力を欠く武井氏を下支えすることに合意。武井陣営の選挙を取り仕切る選対本部長に、上杉氏後援会長の日高義幸宮崎市議が就任し、組織選挙の態勢を整えた。
「県連、支援団体、後援会の総力を結集し、何としても県都のある1区奪還を果たさなければならない」。中村幸一県連会長は、地域支部長に向けた文書で活を入れた。
一方、「第三極」離合集散の流れで「日本維新の会」公認となった中山氏。同30日、武井氏の事務所から徒歩数分の場所に選挙事務所を開き「自民党のために尽くしてきたが除名された。今回の戦いは一部の県連上層部と、一般の党員・県民の戦いでもある」とあいさつ。遺恨の深さを見せつけた。
集まった人の多くは、自民党時代からの支援者。その固定票に加え、維新の風を期待する中山氏は「日本維新の会(代表代行)の橋下(徹大阪市長)さんと一緒に日本の改革ができる。本当によかった」と新党にも気を配ったが、安倍晋三・自民党総裁との近さも度々示唆して「自民党色」をアピールした。
「10年後、20年後、あのとき武井を選んで宮崎がまとまり、宮崎の政治が変わったと次の世代に思ってもらえる戦いをしたい」と訴え、保守票集結を目指す武井氏。「保守層は元々私だ」と自負する中山氏。別々の党の看板を掲げ、同じパイを巡って争う2人の姿は、混迷の度合いを増す政党政治を鏡のように映し出している。【門田陽介】
12月1日朝刊
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