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旅客船・高速船・フェリー等のスレ

288チバQ:2012/10/31(水) 22:12:32
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001210310003
渡し舟 球磨川最終便
2012年10月31日


渡し舟を操る船頭の求广川八郎さん。こんな風景も見られなくなる=球磨川

  球磨川で唯一残る球磨村神瀬(こうのせ)楮木(かじき)地区の渡し舟「楮木の渡し」が、10月31日で運航をやめる。三十数年も櫓(ろ)を握り続けてきた求广川(く・ま・がわ)八郎さん(85)が年齢や体調を理由に引退するためだ。31日には「納め式」を開き、村や地元住民らが求广川さんの労をねぎらう。


  渡し舟は全長約8メートルの手こぎの木船で、同地区と対岸のJR肥薩線瀬戸石駅(八代市坂本町)間の約100メートルを1分ほどで結ぶ。1966(昭和41)年からは地区の渡し舟組合が村の委託を受け、日曜を除き毎日運航し、住民らの足を支えてきた。船賃は村民は無料、村外者は片道150円だ。


  求广川さんは50歳のころに船頭になった。国道219号下にある川べりの小屋に待機し、駅の発着時間に合わせて客を待ってきた。最近は「高齢で、ひざの状態もよくない」と感じ、引退を決めた。同村は「川船を操船する人はいるが、渡し舟を操ることができる人がいない」といい、後継者は見つかっていない。


  村建設課によると、一昨年は年間534人が渡し舟を利用した。人口減や自家用車の普及で、1日の乗客は病院に通うお年寄り1〜2人ほどになったが、今も月に20回ほどの出番がある。かつては朝夕の通学に利用していた高校生も現在はゼロだが、求广川さんは「以前からの習慣」で今でも一番列車に合わせて午前6時前に小屋に着き、午後5時半ごろまで待機する。


  渡しが無理な大雨の日も、運休日の日曜も「舟の番を」と出勤し、小屋に詰めた。「風が大敵。下流側に流され、本来の着船地点に舟を戻そうと力いっぱい櫓をこぐのが、つらいと言えばつらかった」


  村によると、1908(明治41)年に八代―人吉間に鉄道が開業したが、まだ国道が整備されていなかったことが渡し舟を生んだ背景と考えられている。かつては村内に複数の渡しがあったという。


  肥薩線を走る蒸気機関車「SL人吉」は瀬戸石駅に近づくと、車内アナウンスで求广川さんのことを「船頭の達人」と紹介する。求广川さんは列車に手を振って応えてきたが、こんな車窓光景も見られなくなる。求广川さんは「寂しいといえば寂しいが、仕方がない。足がどうにもならん……」。


  31日の納め式は午後3時から。求广川さんのこぎ納めには地元の保育園児らが乗船し、村のPRキャラクター「球磨太郎(くまんたろう)」と県の「くまモン」も同乗する予定だ。(知覧哲郎)


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