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旅客船・高速船・フェリー等のスレ

197チバQ:2011/03/27(日) 21:22:31
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001103260002
「ビートル」親しまれ20年 
2011年03月26日


ビートル首席船長の原田浩一さん=博多港


船長になったばかりの原田浩一さん(左端)=1998年、博多港、JR九州高速船提供

 福岡と韓国の釜山を結ぶJRの高速船「ビートル」が25日、就航20年を迎えた。この日、博多港を朝10時に出港したビートルに乗り込んだのは、首席船長の原田浩一さん(56)。旧国鉄マンから転職した初の船長だ。


 転機は35歳の春だった。


 運転士にあこがれて国鉄に入社。しかし、駅員での生活が長く続いた。「自分がやりたいことは何か。このまま駅員をしていていいのか」


 悩んだ末に、環境を変えようと日本航空へ出向。そこで整備士としての道を歩み始めたとき、船員募集の知らせを聞いた。


 もともと釣りが好きで、小型船舶免許を持っていた。しかし、年齢よりもキャリアが幅を利かせる海の世界。10歳も若い「先輩」から、厳しく指導される日が続いた。


 下っ端の「航海係」としてデビュー。初めて乗った国際航路は予想以上に波が高かった。当時はまだ日韓関係が緊張していた時代で、上空の韓国軍ヘリコプターと並走する際は恐怖を感じたという。


 船員になってから、趣味の釣りはやめた。家での時間は試験勉強に費やし、1993年に1等航海士に昇格。専門用語だらけの参考書に苦労しながら、96年には船長を務められる3級海技士に合格。翌年、国鉄から転職した中で初めて船長に選ばれた。


 127人を乗せて長崎・対馬沖を航行中、クジラとみられる物体と衝突したことがある。「見えない物に突然ぶつかるのは怖かった。でも船長が『怖い』と口にしたら、他の船員に影響する。他人の命を預かる責任の重さを改めて思い知った」


 定年まであと4年。一人でも多くの人に船旅の魅力を広めたいという。「360度どこを見ても水平線。あの開放感はたまらない」


 新人の航海係だったころ、「船の近くで口笛を吹いたら嵐が来る」と先輩から言われたことがある。だから今も、港で口笛は吹かない。(羽賀和紀)

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