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宗教
513
:
とはずがたり
:2018/01/02(火) 20:59:38
>>512
そのさらに奥に、女性宮司の家がある。洋館風のたたずまいが特徴とのことだが、家全体に白いシーツがかかっており、その様子をうかがうことができなかった。家の手前に古札納め所があるが、納めに来ている人はほとんどいなかった。
一度境内の外に出て、女性宮司の家の周囲を歩いてみる。場所で言うと、本殿の東側にあたるエリアだ。ここまで来ると、一般の参拝者の姿はまず見られない。一方で自分のように、事件の現場はどんなところだったのかというのを見に来ている感じの人は案外、多くみられた。そのほとんどが若者だった。半周して再び境内に戻るような形で歩いてみたが、血痕はもちろん、献花などといった事件の痕跡を示すものはなかった。
その反対側、本殿の西側には、「深川不動尊」で知られるお寺がある。正しくは「成田山東京別院深川不動堂」という名前で、真言宗智山派の大本山・成田山新勝寺の別院だ。江戸時代に富岡八幡宮の別当寺(神社付属のお寺)として建てられ、その繋がりは深い。「深川詣」という言葉があるが、これは富岡八幡宮と深川不動尊のセットでまず捉えられる。
そんな深川不動尊だが、今年の入り込み客の様子はどうか。富岡八幡宮を西から出ると、そこにはまさしく正月の人の賑わいと言える光景が広がっていた。西の出入り口から深川不動尊には参道で繋がっており、その通りには屋台が列をなしていた。屋台の通りは人であふれており、どことなく正月の賑わいの懐かしさを感じた。
屋台の通りと富岡八幡宮の間には縦に一本の道路があり、行き来するには横断歩道を渡る必要がある。ただし、例年はこんなのなんでもなく、深川不動尊にお参りした人がそのまま富岡八幡宮に入って行くのだろう。だが、今年はこの道路が“結界”の役目を果たしていた。
というのも、屋台通りから人が出てきても、多くの人はそこで引き返していたからだ。横断歩道を渡る人はいても、半数くらいは横へと歩いて行ってしまう。そのまま富岡八幡宮に直進していく人は数割と言えるほどの数だった。神社の中に入っていく人の様子を見ていると、20代前後の若者が多いのが特徴だった。事件による祟りをあまり信じておらず、むしろ話題作り先行でお参りしているように感じられた。屋台通りでは「インスタ映え」するグッズを売っている露店もあったが、これを持って神社に入っていく若者も見られた。
屋台通りの人混みを抜け、深川不動尊に入る。すると、お参りの列が10メートルほど続いていた。この時既に時刻は3時を回っていたが、それでも人の列がなくなることはなかった。
一見すると、まさしくこれこそが正月の落ち着いた賑わい、といった様子にも思えるが、地元の人にはどう映っているのか。土産物店の店員は「例年通りの人の賑わい」と話す。さらに、「まだ八幡さま(富岡八幡宮)にはお参りできていないが、どれくらいの人の入りになっているか」と心配する様子もあった。少なくとも、富岡八幡宮の余波を受けている様子はなさそうだ。
ツイッター上などでは昨年末、「深川不動尊と富岡八幡宮はセットだから、富岡八幡宮の参拝者数はそんなに影響がない」という希望的観測も見られた。だが、現実、その予想は外れていた。やはり縁起物だけあって、せっかくお不動さまで得たご利益を、八幡さまで落としたくない。そう考える人が多いということだろう。
お寺の参拝者が神社に流れていかない……この問題がいつまで続くか。「深川詣」が復活する日はいつ来るのか。そう考えさせられる初詣だった。(河嶌太郎)
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