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宗教

454名無しさん:2016/10/16(日) 23:18:30
>>453

クリスマス記事のパターン
 大戦前年の大正2年、1913年12月10日のクリスマス記事には「この二、三年クリスマスの急に盛んになり、もう花やかなクリスマス装飾がそこここの町の中を春のよう彩っている」という相変わらずの記事が載っている。ここ最近クリスマスが盛んになった、と、新聞はずっと書き続ける。

 たしかに定着はしてきたようだ。大正期のクリスマス記事はある定型ができていく。

 まず12月の初頭、だいたい3日から遅くとも10日くらいまで「街ではもうクリスマス装飾が始まった」という写真入りの記事が入る。ほぼ毎回、銀座の風景である。

 そのあと「クリスマスの贈物には何がいいか」という記事が出る。クリスマス用の舶来の玩具や、クリスマスカードなどの商品紹介がある。だいたい明治屋、亀屋などの商品である。

 そして12月23日から24日ごろに、都内各教会でのクリスマス会の予定日時が紹介される。

 12月25日26日は、その紹介した教会での様子がレポートされる。

 これがパターンである。

 「装飾始まる」「贈物紹介」「祝会予定」「祝会報告」。この4パターンが繰り返される。

 もちろんこれ以外のいくつかのクリスマス記事が載る年もある。

 クリスマスは明らかに「12月らしい日本の風景」として定着していった。どこまでも日本の風景である。

どんどん日本仕様に
 12月初めの記事は、たとえばこういう記事が載る。

 「なかにも凝ったのは銀座の亀屋で『勅題・社頭の杉』にちなんだ店内一面の装飾は、芝居の舞台面を見るような大仕掛けになっている。日光陽明門を背景に、二抱えもある大杉を立て、商品はよしず張りの掛け茶屋の中に飾られてある」

 「大鳥居、春日灯籠、絵馬や奉納額が、数十本の桜と杉のあいだに並んでいる。二階の朱塗りの大門の内では、エプロンをかけた美しい三人の給仕女が、誰彼の別なくココアを御馳走する」

 こういう風景である。とても楽しそうだけれど、クリスマス飾りが「日光東照宮」を見立てた飾りの中に置かれているのである。

 そのときの明治屋も同じく社頭の杉の趣向で、階段を石段に見立て、杉の大木が数本、花ざかりの紅白の梅の木が十数本置かれ、そのあいまに無数の豆電灯が点滅している。

 どちらも大正2年末の風景である。新年の「歌合わせ」のお題が「社頭の杉」と発表されたので、そういう趣向になったらしい。天皇家と神社と杉の木と、それとクリスマスが違和感なく(少しはあるが、まあ気にするほどではない)ここに同居している。

 日本人は、自分たちに馴染めるようにクリスマスをどんどん変えて取り込んでいった。


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