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宗教
319
:
名無しさん
:2015/03/21(土) 22:34:57
http://news.infoseek.co.jp/article/20150320hochi125
【あの日3・20】「ああ言えば上祐」教団の狂気とメディアの合作- スポーツ報知(2015年3月20日08時00分)
オウム真理教による地下鉄サリン事件が、20日で発生から20年を迎える。当時、教団の幹部で広報を担当していた上祐史浩氏(52)がスポーツ報知の取材に応じ、事件とオウムへ傾倒した当時の自分を赤裸々に告白した。上祐氏は現在、仏教哲学サークル「ひかりの輪」の代表を務めている。また、このほど、松本智津夫死刑囚(60)=教祖名・麻原彰晃=の四女(25)が「被害を受けた方々に申し訳ない気持ちでいっぱい」とのコメントを発表した。
日本中を恐怖に陥れた地下鉄サリン事件。32歳だった上祐氏は当時ロシア支部長だったため、事件には直接関わってはいない。偽証、有印私文書偽造などの罪で懲役3年の刑を受けただけだが、松本死刑囚から事件が教団の仕業と後に聞いたと自著で明かしている。
「事件について一言で言うのは難しいですが、おわびの言葉もないというか、それに尽きます。(20年という年月は)一つの節目なんだろうと思います。現在行われている高橋(克也被告)の裁判(※注)は1審判決後、上告棄却となるでしょうが、その後は麻原の死刑執行への秒読みの始まり。その最後の段階への節目ではないでしょうか」
23歳だった1986年に前身団体「オウム神仙の会」に入会。早大大学院に在学中だった。その後、宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構=JAXA)に就職するが、出家のため1か月で退職。急速に活動にのめり込んでいく。
「自分の場合は、神秘的体験をしたのが大きかった。神を感じたわけではないのですが、知ったような気持ちになった。感性が暴走して、それを知性が抑制できなくなったのです」
上祐氏も含め、当時の信者には高学歴の者も多かった。
「社会のためになると思って教団に入ったら『戦うことが社会のため』と教えられ、倒錯した価値観の中に入り込んでいったのだと思います。そして、全体主義的な体制の中では逃げられない。グル(松本死刑囚)を裏切ると自分がポア(殺害)されると思い、自由が利かなくなってしまう。本来なら、その前に踏みとどまらないといけないのでしょうが、当時は若かったから分からない。さまざまな点でウブだったんだと思います」
さらに、教団の「グルとの1対1の関係」という教義が松本死刑囚のカリスマ性を高め、90年に教団が「真理党」として衆院選に出馬して惨敗したことが、武装化に勢いをつけたとみている。
「他の信者と輪になって話していたとしても、互いの意見を交わすのではなく、教祖の称賛、独裁者に対する帰依の競争の場になっていました。武装化構想は出馬前からありましたが、『平和と武力』によって日本を支配しようとしていた教団の、平和の部分が選挙によって弱まったことは間違いないでしょう」
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