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宗教

198チバQ:2012/06/24(日) 13:23:03
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120624/crm12062407010001-n1.htm
【オウム真理教研究】
(中)危険思想、「麻原隠し」で今も信者獲得
2012.6.24 07:00 (1/3ページ)[オウム事件]

高橋克也容疑者の逮捕を受け、記者会見するオウム真理教元幹部の上祐史浩氏=12年6月15日、大阪市中央区
 オウム真理教の前身の宗教団体「オウム神仙の会」は昭和59年2月に設立された。熊本県出身の麻原死刑囚が上京してヨガ道場を開き発展させた。当初、十数人だった信者は増加。入信者は高学歴で当時の社会に批判的な若者が多かった。

 チベット仏教をうかがわせる教義や神秘性が信者の心をとらえた。麻原死刑囚は「尊師」として神格化され、出家信者は「正大師」「正悟師」などの序列でピラミッド型の階級社会を形成。幹部信者にはホーリーネーム(教団内での名称)が与えられるとあおり、財産の寄進や信者の勧誘を競わせた。教団内では「イニシエーション」(秘儀伝授)と称し、薬物などを使ったマインドコントロールで信者を縛り付けた。

 オウム真理教に改称したのは62年7月だが、同年1月には麻原死刑囚はすでに殺人を意味する「ポア」という言葉を発していた。63年と平成元年には脱会しようとした男性信者を殺害するなどした。宗教法人の認可を受けたのは事件後の同年8月だった。危機感を抱き信者を取り戻そうとする家族とのトラブルも相次ぎ、その過程で元年11月、信者の脱会活動を支援していた坂本堤弁護士=当時(33)=と妻子を横浜市内の自宅で殺害、遺体を山中に埋めた。

 2年の衆院選では、「真理党」を名乗り25人が出馬するが、全員落選。麻原死刑囚は非合法活動を辞さない姿勢を鮮明にし「国家転覆」という思想に到達。教団は山梨県旧上九一色村に広大な土地を購入し、「サティアン」と称する施設群を建設して活動拠点を移しサリンや自動小銃を製造、武装化を進めた。

 6年6月には「自治省」「建設省」などの省庁制を導入、疑似国家的な組織を形成し信者数は国内のほかロシアなども含め1万人になった。同月には教団が民事訴訟を起こされている長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙ってサリンを噴霧した松本サリン事件を起こし8人を殺害。これ以後も猛毒のVXを使用した殺人事件などを引き起こした。

 教団の関与が疑われる事件が相次いだが、宗教団体であるため警察当局は捜査に慎重な姿勢を崩せなかった。しかし、7年2月、教団から脱会しようと身を隠していた女性の所在を聞き出そうと、兄で東京・目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=への逮捕監禁致死事件が発生すると状況は一変。事件に使用した車から信者の指紋が検出され、警視庁が捜査に乗り出した。

 強制捜査が迫った同年3月20日、警察の目をくらませるため教団は地下鉄サリン事件を起こす。朝の通勤時間帯に官庁街に向かう地下鉄車内でサリンを散布し13人が死亡、6千人余りが負傷した。警視庁などは2日後の22日、上九一色村の教団施設を強制捜査。5月16日には、施設の天井裏に隠れていた麻原死刑囚を発見し逮捕、幹部らも続々と逮捕され教団は8年に宗教法人格を失った。

 一連の事件から17年。教団は主流派「アレフ」と、上祐史浩代表による「ひかりの輪」に分派して活動を継続。公安調査庁によると、信者は両派で約1500人。アレフは麻原死刑囚の生誕祭では「未来永劫(えいごう)、麻原尊師についていく」と強い帰依心を示し、脱麻原を強調するひかりの輪も「欺瞞(ぎまん)的な“麻原隠し”を進めている」としている。

 両派の新規信者獲得者数は21年から100人台で推移し、23年は213人と増加。現在でも若者の間に根を張ろうとしている。

 ■サリン ナチス・ドイツが開発したとされる神経ガスの一種。純粋なものは無色無臭で常温では液体。毒性が非常に強く少量でも吸収すると視野が狭くなる、吐き気、けいれんなどの症状が起こり短時間で死に至る。


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