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宗教
183
:
チバQ
:2011/04/05(火) 22:01:00
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000606-san-soci
見送る家族なき集団埋葬 被災者「遺体確かめたい」自治体「ぎりぎりの期限」
産経新聞 4月5日(火)21時1分配信
5日、宮城県石巻市では、身元不明者の仮埋葬が行われた。被災地では遺体の数が多く、身元の確認は遅れているという(松本健吾撮影)(写真:産経新聞)
東日本大震災で、発見されながらも身元が判明しない遺体をめぐり、自治体の対応が揺れている。遺体の損傷が激しく、警察は「これ以上放置はできない」と自治体への引き渡しを決め、宮城県石巻市や岩手県大船渡市では5日、集団埋葬や火葬が始まった。「家族の体をこの目で確かめたい」と遺体安置所に通い続ける被災者。一方で家族に見送られず埋葬される犠牲者。自治体にとってもぎりぎりの判断だった。(桜井紀雄、荒船清太)
■見送る家族なく
5日午前11時ごろ、石巻市の総合体育館。防災無線から「総合体育館の遺体安置所を閉鎖します」と放送が流れた。この日、身元が判明しないまま仮埋葬されることになった23体の遺体を収めたひつぎが葬儀会社の職員によって次々体育館そばの墓地に運び出された。
ひつぎは墓地にうがたれた縦長の穴に下ろされていく。僧侶による読経が行われ、職員や埋葬を受け持つ土木作業員が焼香する。本来、見送るべき家族の姿はそこにはなかった。
■苦渋の決断
県警は、遺体の検視を終え、特徴や服装などの資料をそろえた上で発見から7〜10日で自治体に引き渡す方針だった。それがずれ込んだのは家族の姿を捜し、連日安置所に通う被災者らの思いを考慮してのことだった。
仮埋葬に踏み切ったことについて石巻市の担当者は「遺族の思いを考えると、苦渋の決断だが、震災から3週間以上たっていることを考えると、ぎりぎりの期限だった」と漏らした。
岩手県大船渡市でも5日、身元不明遺体の引き渡しを受け、7体について火葬が行われた。住民に周知されることもなく、市の職員たちだけに見送られた。
宮城県内で身元が分からなかったり、家族がまだ引き取らない遺体は約1300体。岩手県内では約880体に上る。身元不明のまま仮埋葬や火葬される遺体はさらに増える見通しだ。
■「服も分からない」
「『遺体があればいいな』と安置所に行ってなければほっとする。だけど『まだ見つかんねえんだ』と意気消沈する繰り返しです」。妻の佐藤佐久子さん(53)が行方不明で連日、石巻市の安置所に通う勝男さん(54)はこうつぶやく。
震災直後、妻から《大丈夫?》と書いたメールが届き、勤務先から自転車で自宅に戻って自分も津波にのまれ、九死に一生を得た。翌日自宅に戻ると、2階は損壊を免れていたが、佐久子さんの姿はなかった。
身元不明のままの埋葬に理解を示しながらもこういって目を真っ赤にさせた。「そりゃ、正直いうと妻の形がほしいって」
伊藤芳栄さん(56)夫婦も同市の安置所に通い、遺体の年齢層や特徴、服装を記した名簿に目をこらしてきた。娘の英理奈さん(24)がいまだ行方不明。震災直後、一度は携帯電話がつながり「逃げろ」と伝えるとすぐに切れた。それが最後だった。
「当時、娘がどんな服を着ていたかも分からないんです」。若い女性が名簿にあれば、写真を見せてもらうが、英理奈さんに似た顔はなかった。
「実際に顔を見てみないことには…」。総合体育館の安置所が閉鎖された後もほかの安置所を回り続けるつもりだ。
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