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大相撲スレ

894とはずがたり:2018/10/11(木) 13:46:22

輪湖時代築くも死去 天才横綱・輪島大士さん“破天荒伝説”
https://news.nifty.com/article/sports/athletic/12136-102250/
2018年10月10日 12時00分 日刊ゲンダイDIGITAL

自由奔放にして破天荒。しかし、こと相撲に限れば天才だった。

 9日、第54代横綱・輪島大士氏が8日、死去していたことがわかった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だったという。

 1970年代に故・北の湖の向こうを張って、「輪湖時代」を築いた人気横綱。優勝14回と実力もさることながら、何よりも型破りの言動で知られていた。稽古を「練習」と呼び、地方場所では花籠部屋の宿舎ではなく、ホテルから“通勤”していた。

 相撲評論家の中澤潔氏が言う。

「まわし一丁で阿佐谷の街をランニングしていたこともある。そもそも力士は『走るな』と教わるものです。常に足の裏を地につけて踏ん張るのが相撲の基本。ランニングは相撲の稽古から対極にある。輪島が在籍していた日大相撲部は阿佐谷に道場があり、所属した当時の花籠部屋からは目と鼻の距離。当初は日大の合宿所で寝泊まりし、部屋に通っていた。そんな力士はおらず、何から何まで異質でした」

 70年1月場所で初土俵を踏み、わずか3年半、所要21場所で横綱に昇進。これは年6場所制となった58年以降、いまだ破られない最速記録だ。日大出身のため、幕下付け出しデビューという事情を考慮しても、驚くべき早さである。

「学生相撲出身で横綱まで上り詰めたのは輪島だけ。当時の力士たちは『学生相撲なんかに負けられない』と敵対心をむき出しにしていたものです。それを輪島が得意の左下手で打ち砕いた。破天荒な言動も、『文句があるならオレに勝ってみろ』と言わんばかりの自信に裏打ちされていた」(前出の中澤氏)

 引退後は師匠の跡を継いで花籠親方になるも、金銭問題、女性問題が噴出。廃業してプロレス界に飛び込んだ。

■貴乃花との奇縁

 先日、相撲協会を退職した貴乃花(46)とは面立ちが似ていることから、「本当の父親は輪島では?」とウワサになった。これには貴乃花の母・藤田紀子氏が昨年出演したワイドショーで改めて、「根も葉もないことで、本当にくだらない作り話。最初に聞いたときはびっくりしたけど、今では怒ることもない、バカらしいくらい。言い訳もしたくない」と否定、一笑に付したが、そんな都市伝説が今も角界で語られるのは、それだけ輪島が破天荒だったからだろう。

 いまもなお相撲ファンの間では語り草の「黄金の左」。記録以上に記憶に残る横綱であったことは、間違いない。


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