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大相撲スレ
66
:
とはずがたり
:2010/01/14(木) 23:42:55
>>65
おざーす。俺も調べてみた。
大相撲の「一門」
http://www5.hokkaido-np.co.jp/motto/20011208/
大相撲の世界には、日本の伝統が色濃く引き継がれている。相撲部屋を統括する「一門」もそのひとつ。元来、平安時代末期以降の武士社会の血縁組織を指す言葉だが、角界ではしばしば、派閥としての機能を発揮する。来年初場所後の役員改選で新理事長を選ぶ日本相撲協会は今、「政治の季節」を迎えている。ここでも、一門の果たす役割は大きい。
(2001年12月8日夕刊掲載)
Q どうしてできたの
A 部屋が自主興行の巡業/連合体つくり共に行動
大相撲の本場所は現在、年に六回、計九十日間行われているが、明治期には十日間の本場所が年二回、計二十日間しかなかった。このため、各部屋は当時、自主興行の巡業で収入を確保しなければならず、複数の部屋が共同で巡業を開催していた。この巡業の連合体が一門になった。
巡業を行うためには、一定の数の力士が必要なことはもちろん、行司や呼び出しも欠かせない。看板力士がいれば集客数も違ってくる。これらを単独の部屋でそろえるのは不可能だから、連合体を組んで行動するようになった。巡業、けいこ、食事を共にし、極めて強い結束力を誇った。
一門も、戦前から戦後の混乱期にかけて離合集散を繰り返した。中心となる部屋を本家といい、残る一門内の各部屋は、本家出身の力士が興した場合が多いことから分家と呼ばれる。これらの関係を「縁続き」という。
かつては、同門の力士同士は本場所で対戦しなかったため、関取を大勢抱える一門が有利だった。しかし、一九六五年初場所から部屋別総当たり制が導入され、同門でもライバル意識が芽生えていった。
今でも、力士は同門部屋に出げいこに出かけるなど、一門意識は健在。各部屋の利益を守るために結束することから、「一門は政党の派閥のようなもの」と言われる。
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