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大相撲スレ
658
:
アーバン
:2014/08/14(木) 22:24:00
http://mainichi.jp/sports/news/20140815k0000m050050000c.html
大相撲:愛された「ホラ吹き金剛」…前二所ノ関親方死去
毎日新聞 2014年08月14日 19時36分(最終更新 08月14日 19時44分)
1975年名古屋場所で幕内優勝を果たし、賜杯を受け取る北村さん(左)
大相撲の元関脇・金剛で、前二所ノ関親方の北村正裕さんが12日、亡くなった。現役時代は本心を隠さない開けっ広げな性格で親しまれ、幕内優勝も果たした。引退後は日本相撲協会理事として2011年の八百長問題の対応に追われたが、近年は頭部の疾患で長期入院を余儀なくされ、13年には二所ノ関部屋を閉鎖するなど健康問題に悩まされた。
◇八百長問題で奔走
右で前まわしを取り、頭を付けて粘る取り口が持ち味。西前頭筆頭で臨んだ1975年名古屋場所では13勝2敗で初優勝した。ユーモアあふれる言動で「ホラ吹き金剛」とも呼ばれたが、優勝直後には「“ほら”みたか」とコメント。ホラではないことを強調し、周囲を笑わせた。
所属した二所ノ関部屋は師匠の後継問題で揺れ、北村さんは優勝から約1年後、76年秋場所直前にわずか27歳で引退して部屋を継いだ。土俵を去るのは突然だったが、当時は「やらなくちゃしょうがない」と決意を語っていた。
11年の八百長問題では、日本相撲協会の広報部長として相撲協会の立て直しに尽力。盟友だった当時の理事長で元大関・魁傑の先代放駒親方(故人)を支えた。同じ二所ノ関一門で親交の深かった尾車巡業部長(元大関・琴風)は「本当に残念。(12年4月に)私が(首に)けがをした時は、週に2日も3日もお見舞いに来てくれました。一門の中ではリーダーシップを取り、博学で近代的な考え方を持っていました」と故人をしのんだ。【井沢真、岩壁峻】
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