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大相撲スレ
504
:
アーバン
:2013/10/08(火) 18:30:50
http://mainichi.jp/select/news/20131003dde035070031000c.html
待ったなし:大相撲 後継者不足、消える部屋=武藤久
毎日新聞 2013年10月03日 東京夕刊
白鵬が4連覇で締めた9月の大相撲秋場所。千秋楽後に元大関・増位山の三保ケ関親方が部屋を閉じた。11月の九州場所中に定年の65歳となり、後継者がいないためだ。
角界団塊の世代の1947、48年生まれで2桁を占めた親方の一人が三保ケ関親方だ。父親の元大関・増位山が再興。横綱・北の湖に、息子の2代目増位山、北天佑の両大関ら多くの関取を輩出した三保ケ関部屋は一時角界の一大勢力だった。
2代目は5歳下の北の湖とともに67年入門。内掛けなど足技で名をはせた。番付運にも恵まれ、80年初場所、関脇で12勝を挙げ大関昇進。親子大関として話題を提供した。
81年春場所で引退。父親の定年とともに84年に10代目三保ケ関となり浜ノ嶋(尾上親方)、肥後ノ海(木瀬親方)、阿覧、引退した把瑠都らを育てた。
器用な相撲同様、多彩な趣味を持ち絵画は二科展入選の常連。さらに歌で名前を知らしめた。現役時代に「そんな夕子にほれました」で歌手デビュー、77年に吹き込んだ「そんな女のひとりごと」は130万枚も売れた。
親方として記者倶楽部担当時代のエピソード。ホテルで開いた倶楽部の懇親会が幹事の不手際もあって赤字になりそうになった。思案投げ首の時、ホテル側の計らいで親方がホテルのステージで一般客に歌を披露。甘い声の持ち歌数曲に拍手喝采。話をつけてもらった。
85年から日本相撲協会が親方、力士の副業を原則的に禁止。解禁後も審判部副部長の要職を長く務めたため歌手活動は封印していたが、定年に備えて「増位山太志郎」で再デビュー。これからは好きな歌謡曲で大相撲の役にも立ちたいという。
三保ケ関部屋の閉鎖で一時55を数えた相撲部屋数は43になる。団塊世代の親方だった元大関・旭国の大島部屋、元関脇・富士桜の中村部屋、理事長も務めた元大関・魁傑の放駒部屋などが定年とともに部屋を閉じた。初代・若乃花や輪島を生んだ花籠部屋や、大鵬が育った二所ノ関部屋も後継者不在で消えた。
強い外国出身力士が増える一方、小錦や曙らが去ったように角界に残る者は少ない。後継者不足は角界史に大きな変化をもたらしてきている。【東京相撲記者倶楽部会友】
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